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あなたのとりこ 12 [あなたのとりこ 1 創作]

 地下鉄の本郷三丁目駅までは歩いて五分程、JRの御茶ノ水駅へも順天堂病院の前を通って神田川沿いに外堀通りを十分程歩けば到着すると云う交通至便の地で、頑治さんはその至便さに魅かれて大学の三年の時に世田谷の方からここに移り住んだのでありました。当然、頑治さんの通っている大学へも近いと云うのも大いに魅力的でありました。
 世田谷の安アパートに比べれば風呂付でもありますから家賃はぐんと跳ね上がるのでありましたが、二年間のアルバイト三昧でたっぷり貯めた預金と、これから先もアルバイトに精を出せば故郷からの仕送りと合わせて何とか遣り繰り出来ると踏んで、頑治さんは思い切ってここへ引っ越して来たのでありました。引っ越し当時は然したる根拠もなく嫌に太っ腹であったものだから、電話も引いたのでありました。四年生になって就職活動時期にでもなれば、どうせ電話は必要となるでありましょうから。
 ・・・で、夕美さんは部屋の奥の座卓の前に座るのでありました。頑治さんはキッチンに居残って、持て成しに出す紙ドリップのコーヒーを淹れる湯を沸かすのでありました。万事にものぐさな頑治さんながらコーヒーはインスタントではないのでありました。
「職安の紹介?」
 夕美さんがコーヒーカップを座卓に置きながら訊くのでありました。
「そう。意外にすんなり就職が叶って、些か気抜けする心地だね」
「運が良かったのかしら」
「いや、職を探す当人の心映えと、如何にも涼やかな顔付きが良かったんだろうね」
「ふうん」
 夕美さんは頑治さんの戯れ言に対して全く取りあわないような、至極ぞんざいな相槌を打つのでありました。頑治さんの軽口には慣れっこになっているのであります。
「で、働き易そうな会社?」
「それは未だ判らないけど、カリカリしているような雰囲気は無かったかな。やる事もそんなに複雑で難しい仕事じゃなさそうだし、今までやったアルバイトの延長のような感じだし、まあ、だから意外に簡単に見つかったんだろうけどね」
「待遇はどうなの?」
「給料はそんなに高くはないよ。寧ろ同一年齢で比較すると低い方かな。でも能力給とかじゃないし、ノルマなんかもなさそうだし。まあ、営業職じゃないから当たり前かも知れないけど。倉庫業務とか配送や集荷と云う仕事柄、服装も堅苦しくないし、大体が定時に片付く仕事の様だし、ボーナスは年二回出るし、有給休暇も有るそうだし、そう云った説明を受けた限りでは、自分としては働き易い会社だと思えるんだけどな」
「ふうん」
 夕美さんは前と同じ無表情な顔で曖昧な頷きをするのでありました。しかしこれは先程のように頑治さんの冗談をつれなくあしらうためのものではなく、頑治さんの今述べた待遇の概略だけでは、働き易い会社なのかそうでないのかが今一つ明快に判らないと云う、判断不能の表現としての無表情のようでありました。
「ま、実際に働いてみないと、今の段階では何とも云えないけどさ」
(続)
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