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あなたのとりこ 9 [あなたのとりこ 1 創作]

 例えば登校中の路で不意に石に躓くとか教科書を忘れてきたとか、その日に返ってきた先のテストの結果が思いの外悪かったとか、友達と言葉の遣り取りが上手くいかなくて意ならず喧嘩になったとか、考えてみれば何かしらの禍事が起こっているのであります。こうなるともう、左手の松葉が勝てば凶事が起ると断定するべきかも知れません。
 然様であるなら、矢張りこれは、吉・凶占い、と云うべきでありましょう。確かに吉・無吉占いよりはその方が卜占としてはすっきりと落ち着いていると頑治さんも思うのであります。そうであるなら頑治さんの松葉を持つ手にも余計な力が入る事になるのであります。次の日が吉であるか凶であるのかが松葉の勝負に懸かっているのでありますから。
 またこの松葉占いが良く当たるのであります。と、頑治さんには身に染みて思われるのであります。松葉占い恐るべし、であります。依って頑治さんはこの密やかで、陰鬱な感奮に満ちた神事の虜とならざるを得ないのでありました。
 松葉の宣託は何を差し置いても第一番目に尊ぶべき明日の道標であり、明日と云う日を無難に乗り切るための予めの指示であるのなら、頑治さんはそれに頼ってのみ自分の生を生きていると云っても過言ではないと思うのでありました。頑治さんの人生は松葉が握っていると云うわけであります。何というロマン主義でありましょうや。
 まあ、兎も角もこういった観念論的性向が一旦身に沁み込むと、ありとあらゆる事象に神意、或いは天の意志を見るようになるのでありました。時間が過ぎて松葉の卜占にも厭きた後でも、頑治さんの心の壁にはこの性向が薄染みのように残るのでありました。
 例えば朝、中学校に行くために靴を履いて左足から玄関を出るか右足から外に踏み出すかで登校路程の吉凶が分かれるとか、バナナの皮を剥く時に四枚に剥くところを三枚に剥き損ねたら近々災いが起るとか、誤差前後十秒以内の三分間で歯を磨き終わらなければ好からぬ事がすぐ先に待ち受けているとか、七秒以内に信号が青に変わらなければ英語のテストの点が悪いとか、まあ、数え上げたら切りが無い位に神託頼みの人生であります。
 慎に窮屈な生き方だとうんざりもするのでありましたが、しかしこの営為の虜となった頑治さんには、これ無くして生きることは不可能に近いのでありました。故意に卜占を無視する、或いは寧ろ挑戦する等と云う勇気は全くないのでありました。そんな事をすればちょっとした凶事どころではない、途轍もない天罰が下されるに決まっているのであります。より小さな禍災さへ甘受していれば、大災へのストレスは免れるであります。
 何が起こってもそこに神の、或いは天の啓示を見る頑治さんは、しかし一面に於いてかなりのナルシストでもあるのでありました。だから普段は、そんな不合理には一顧も与えないリアリストの顔で振る舞うのでありました。あるかないか判らない神の、或いは天の意向に何時も兢々としているなんと云う態は、如何にも恰好が悪いでないではありませんか。しかしまた反面、神、或いは天への裏切りをしてまで敢えて己を修飾しようとする仕業は、これはまた頑治さんの強いストレスになっているではありましたが。
 慎に信心深い、頑治さんでありました。こういった信心深さは一体奈辺にその根があるのであるのかしらと、頑治さんは時々考えてみるのでありました。しかし特段思い当る成長過程上の目印は何処にも見付けられないのでありますが。・・・
(続)
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