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お前の番だ! 594 [お前の番だ! 20 創作]

「いや、オイは未だ弟子ば取る立場じゃなかですけん」
 万太郎はそう云って重井少年を見るのでありました。重井魂太は万太郎の言葉にまるでいきなり梯子を外されたように、如何にも情けなさそうな表情を返すのでありました。
「折野しぇんしぇいの弟子になられんとなら、東京に行く甲斐のなかごとなるです」
 重井魂太はそう云って俯くのでありました。特に意図したわけではなかったにしろ、聞き様に依ってはつれない一言であったかと万太郎は少し気の毒になるのでありました。
「そう云われてもなあ。・・・」
 万太郎は頭を掻くのでありました。「それにオイは、もう折野て云う姓じゃなかぞ」
 重井魂太がハット気づいたような顔をして狼狽するのでありました。
「あ! すんましぇん」
 重井魂太は慌てて低頭するのでありました。肝心な時に致命的な間抜けをやらかして仕舞ったと、その年頃の少年らしく如何にも大袈裟に恥じ入るのでありました。
「一応云うたまでで、まあ、それは別に気にせん。第一オイ自身も時々、人に自分の名前ば云う時に未あだ間違うぐらいやけん」
 万太郎はそう云いながら、何となく横のあゆみを見るのでありました。あゆみは口に手を当てて控えめな仕草で吹いて見せるのでありました。
「先ずは常勝流の総本部道場に入門すればよかじゃろう」
 角鼻先生が助け舟を出すのでありました。
「ああ、それなら何時でも歓迎するぞ」
 万太郎は重井魂太に笑顔を向けるのでありました。重井魂太は暗闇にいきなり光明が燈った、と云った具合の歓喜溢れる表情になるのでありました。
 なかなかに純な少年のようであります。これだけの遣り取りながらも万太郎は、常勝流を学ばんとするに重井魂太が熱い情熱を有しているのを見取るのでありました。

 茶を啜った後に、是路総士が万太郎に和やかな表情を向けるのでありました。
「ほう。それでその重井と云う高校生はお前の弟子になりに東京に出て来るのか」
「いや大学進学が本旨ですが、まあ、上京後は早速に入門するのではないでしょうか」
「何となく情熱的で意志の強そうな目をした子だったわよ」
 あゆみがそう云い添えて、卓上にある自分の湯呑を手に取るのでありました。
 熊本への出張指導兼里帰りから帰った万太郎はあゆみと一緒に、帰京した翌日の夜、その日の稽古が総て終わってから、師範控えの間に居る是路総士に挨拶に上がるのでありました。先ずは万太郎の両親の挨拶を伝達して、その恙ない事を報告し、託された土産等を献じてから、話しは捨身流の角鼻先生の道場での出来事に及ぶのでありました。
「お前にもう一人、直弟子が出来ると云う事になるわけだ」
 是路総士の云う別の一人とは、云う迄もなく真入増太の事であります。
「いや、僕は個人的に弟子を取る立場ではないのですし、常勝流総本部道場の新しい門下生になると云う事ですから、要するに僕ではなく総士先生の弟子になるわけです」
(続)
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