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お前の番だ! 590 [お前の番だ! 20 創作]

 田依里師範は総本部道場で稽古する場合は白帯を締めて稽古に臨むのでありました。是路総士は時々自分の門弟も同道して来る一派の主幹たる田依里師範の体裁に配慮して、黒帯を締めても構わないと云ったのでありましたが、田依里師範はそれでは余りに遠慮がなさ過ぎると自ら固辞して、特に抵抗もなく白帯姿に甘んじるのでありました。
 興起会は打撃中心で試合重視の格闘技系会派でありましたから、田依里師範の連れて来る門弟の中には、こういう会派の者によくみられる、道場作法に無頓着で容儀の芳しくない、粗暴で無神経なふる舞いが強さの証、等と俗な勘違いをしている不心得者も稀にあるのでありました。田依里師範の目論見としては、自分を含むそう云う者達に日本古来の武道稽古の厳格さを、敢えて他派の、それも伝統を重んじる古武道の稽古に参加する事に依って身につけさせたい、と云う意図があるように万太郎は推するのでありました。
 依って万太郎は敢えて厳しい指導を以ってそう云う者達に臨むのでありました。彼等の中には大いなる反発を示す者もあるのでありましたが、そう云う場合は仕方がないので、圧倒的な武威もて実力行使に及ぶ場合もあるのでありました。
 そうすると殆どの者は万太郎の力量に怖じて、以降謹慎に稽古に励むようになるのでありましたが、稀にもう二度と総本部道場に現れない者もあるのでありました。万太郎はそう云う時、田依里師範に多少申しわけないような気がするのでありましたが、寧ろ田依里師範の方が万太郎に自分の行き届かない日頃の指導を詫びるのでありました。
 万太郎はその心映えに敬服の念を禁じ得ないのでありました。一派だけを溺愛し拘泥して、その思いが余るあまりにその会派の体面を過敏に大事がるような修行をこれまでしてこなかった田依里師範故の、クールな心胆の在り方と云えるでありましょうか。
 万太郎の方は常勝流一本槍でこれまで来たのでありましたから、田依里師範のこの度量の広さに大いに感じ入るのでありました。他派や他武道と対してどこまで自派に客観性を付与出来るかと云うのも、指導者の力量の一つと云えるであありましょうか。
 度量の広さと云うのは、別の目で見れば愛情の薄さとも映るでありましょう。自派を客観化する冷静と愛執する熱情との絶妙な均衡が指導者たる者の風格を形成するのであり、延いてはその武道の品格を決定するものでもありましょうが、まあそれは兎も角。・・・
 稽古に於いても田依里師範は自分の体面をちっとも気にしないのでありました。自分の連れて来た弟子が、自分より上手に万太郎の指導を我がものとしたなら、田依里師範は臆する事も妬嫉する事もなく、ごく自然にその者に教えを請うのでありました。
 こういう態度は是路総士も大いに買うのでありましたし、辛辣な事を云って人をへこませるのが得意な鳥枝範士も、田依里師範に対してはその癖を控えて、慎に愛情に満ちた激励等を送っているのでありました。寄敷範士も、ああ云う篤実な者が主管する会派は、そう大きくはならないかも知れないが、充実した実質を持つ武道界の中できらりと光る会派になるだろうと、将来に対する太鼓判を献ずるに些かの吝嗇もないのでありました。

 常勝流武道総務長となった万太郎は、信州木曽への新婚旅行から帰って、是路総士からの将来宗家を継ぐ者としての秘伝伝授も終わると、俄かに忙しくなるのでありました。
(続)
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