SSブログ

お前の番だ! 549 [お前の番だ! 19 創作]

「いやどうも、なかなかどうして、目の遣り場に困りますなあ」
 花司馬教士の笑い声が後ろから万太郎の肩に軽く当たるのでありました。またふり返ると花司馬教士は、掌で自分の首筋を扇ぐ真似をして見せるのでありました。
 花司馬教士の手前これは何とも決まりが悪いし、かと云ってあゆみの腕を断固ふり解く程の勇気もないし、そうするにはちと惜しい、なんと云う助平心もありで、万太郎は体を固くして前を向いてあゆみの歩調に滞りがちに自分のそれを適合させて、玄関までの長いような短いような距離を歩くのでありました。そんな万太郎の不自然な様子が絡めた腕を通して判るものだから、あゆみは万太郎の横顔を見てクスと笑うのでありました。

 次の日は月曜日で総本部道場の定休日でありました。道場は休みでも、内弟子として家向きの仕事は熟さなければならないので、あゆみが四人分の朝食を調えている間に、万太郎と来間は何時もの如く廊下やら庭の掃除に精を出すのでありました。
 昨日の事があったために四人での朝食はどこか重いぎごちない雰囲気の中で、銘々寡黙に箸を動かすのみでありました。是路総士はもの静かであるのは何時もの如くでありましたが、心持ち不機嫌そうな表情がそれに加味されているのでありました。
 万太郎とあゆみはそんな是路総士の様子を憚って、沢庵を噛む音も意識して控えめに、偶に目と目を見交わす事はあっても声は発しないのでありました。そんな三人の在り様に来間一人が面食らっているのでありましたが、一人だけ呑気に熱いみそ汁の香馥を堪能しているわけにもいかず、息苦しい雰囲気に染まって慎に居心地悪そうでありましたか。
「何かあったのですか?」
 内弟子部屋に引き上げてから、来間は万太郎に遠慮がちな声で訊くのでありました。
「うん、ああ、いや、まあ、・・・」
 万太郎は間投詞を無意味に並べるのみでありました。
「昨日の八王子行きが不首尾に終わったのですか?」
「そう云うわけでもないが、・・・」
 思いがけぬ大層な余禄もあって不首尾なわけがないのでありましたが、万太郎は何となくけろりと披露するのに差し障りなんぞを感じて、その辺は来間には云わないのでありました。万太郎が話し難そうな素ぶりであるのを斟酌してか、来間は大いに気にはなるのでありましょうが、弟弟子の慎みからそれ以上の質問を控えるのでありました。
 来間が新宿に映画を観に出かけた後万太郎は食堂に顔出しするのをそれとなく憚って、一人内弟子部屋でゴロリと寝転んで、読み止しの時代小説の文庫本等開いて文字面をそぞろに眺めているのでありました。見開きを眺め果せたら自然に頁を捲りはするものの、あゆみの笑んだ口元やら、昨日間近で見たところの潤んだ瞳やら、瑞々しく肌理の細かい頬の手触りやら、それに今朝の是路総士の仏頂面やらが目と本との間に不如意に浮かんでは消えるものだから、頭の中に書かれている内容等の入る余地もないのでありました。
「万ちゃん、居る?」
 突然襖の外からあゆみが万太郎を呼ぶのでありました。
(続)
nice!(17)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 17

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

お前の番だ! 548お前の番だ! 550 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。