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お前の番だ! 537 [お前の番だ! 18 創作]

「洞甲斐先生にもお暇を請います」
 万太郎が洞甲斐氏の方へ視線を向けると、洞甲斐氏は未だ虚けたような顔で万太郎の暇乞いの言葉が耳に入らないような気配でありましたが、甥のしくじり兄弟が万太郎に手酷く完膚なきまでにあしらわれて仕舞った事が余程ショックだったのでありましょうか。それとも万太郎の窺い知れない辺りで何やら強い動揺を覚えているのでありましょうか。
 例えば先程のすったもんだで廃屋に近いこの道場兼住居が、近い将来に呆気なく倒壊して仕舞わないかと大いに心配で何も手につかないとか、頼りとなる筈の威治前宗家が全く頼みに出来ない事が知れて、二人で新しく立ち上げた会派の先行きと自分の口過ぎの道に云い知れぬ不安が生じた故とか、或いは自分の生涯をかけて磨いてきた(!)瞬間活殺法が、万太郎には全く通用しないに違いないと判って強烈な無常観に苛まれて仕舞ったとか。まあ、万太郎にとってはそんな洞甲斐氏の心の内等は関知の外ではありますが。
「洞甲斐先生!」
 万太郎は虚ろに視線を内向させている洞甲斐氏に喝を入れるように、その名をきっぱりとした声で呼ぶのでありました。すると洞甲斐氏はビクンと一度体を震わせてから、ようやく意志の戻った目に返って万太郎を見るのでありました。
「ああ、これはどうも。・・・お、お構いもしませんで」
 洞甲斐氏は妙に弱々し気な様子で万太郎にお辞儀をするのでありました。何も今更、お構いもしませんで、はなかろうと万太郎は苦笑するのでありましたが、そう返事するとこを見ると、万太郎の暇乞いの言葉はちゃんと耳に入っていたようであります。
「また何かありましたら、僕は遠慮なく何度でも推参いたしますからね。どうも今次はお騒がせしました。先生の新しい会派のご盛況をお祈りしておきます」
「ご丁寧に、恐れ入ります」
 洞甲斐氏はまるでその場に頽れるような風に、もう一度万太郎に向かって様の良くないお辞儀をして見せるのでありました。頼むからもう二度とここには来ないでくれと云う厭色が、その垂れた首筋辺りから濃厚に滲み出しているのでありました。
「ではあゆみさん、帰りましょう」
 万太郎は後ろをふり返って云うのでありました。あゆみは万太郎の目を見ながらこっくりを返して、万太郎よりも先に立つのでありました。
 万太郎が立っても威治前宗家は座ってそっぽを向いた儘でありましたが、洞甲斐氏は礼儀からか、それとも万太郎にまたもや態度についてケチをつけられるのは叶わないと思ったからなのか、一応送往のために一緒に立ち上がるのでありました。
「お見送りは結構です」
 万太郎は洞甲斐氏に片掌を突き出して見せるのでありました。その後の万太郎のもう一度のお辞儀に、洞甲斐氏は力なく頭を下げて答礼するのでありました。
 玄関まで歩きながら万太郎は横手の壁際に居る普段着とダブルの白背広と、しくじり兄弟の方を横目に見るのでありました。普段着とダブルの白背広は万太郎の視線に気づいて、諂うような笑いを送りながらヒョイと頭だけ下げて見せるのでありました。
(続)
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