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お前の番だ! 523 [お前の番だ! 18 創作]

 高尾駅で京王線からJR線に乗り換えて東京方面に一駅戻ると西八王子駅であります。八王子で乗り換えても良いのでありますが、その場合京王八王子駅からJR八王子駅間は少し歩くので、その日の万太郎にはそれが何となく億劫に思われたのでありました。
 洞甲斐氏の道場は森閑としているのでありました。しかし前に様子見に来た時とは違って、中からは人の気配が漏れ窺われるのでありました。
 予め電話で約束をしていた万太郎の来訪を、洞甲斐氏はまさかすっぽかしはしないでありましょうが、それでも万太郎は玄関の内から漏れてくる人の気配に少しく安堵するのでありました。と同時に、気重の方も最高潮に達するのでありました。
 まあ、こちらに理がある事を述べに来たのでありますから、気後れを感じる必要は何もないのであります。しかしながら相手がある意味で結構な難物でありますから、それを考えると万太郎の気重も宜なるかなと云ったところでありますか。
 万太郎は閉まった玄関越しに、ご免くださいと音声を上げるのでありました。ここは一番、頼もう、と発声しても良かったかも知れないけれど、そうなると時代がかった道場破りのようではないかと、つまらない事を頭の端の方でちらと考えるのでありました。
 玄関引き戸がガラと開いて出てきたのは、作務衣姿の洞甲斐氏その人でありました。
「ああこれは折野先生、随分とお久しぶりです」
 洞甲斐氏との間には前に気まずい経緯がありはしましたが、万太郎を迎える洞甲斐氏の声音は、最初に言葉を交わした八王子の体育館の時と同じでありました。
「ご無沙汰しております」
 万太郎はなるべく言葉に表情を添えないで、しかしほんの少々つれなさを加味しながらそう返して、無礼にならない程度に浅く頭を下げるのでありました。
「まあ、どうぞお入りください」
 万太郎の、不躾とまでは云えないながらも親愛感は殆ど感じられない物腰に、装っているだけであろうけれども、洞甲斐氏は何となく久しぶりの邂逅を喜ぶ気色を削がれたように、語調を幾段か落として万太郎を道場の中へ誘うのでありました。
 狭い道場は四囲の壁際に、古そうな長机やら上蓋の不細工に開かれた儘の拉げた段ボール箱やら、或いは脱ぎ捨てられた衣服やら今にも崩れそうな紙の束やら、酒の一升瓶やらそれを飲むためのものであろう茶碗やらが、全くの未整理に並べられているのでありました。おまけにそのどれもが長い時間そこにその儘放置されていたらしく、塵と埃に薄く覆われているのは、仮にも道場たる表情としては何ともいただけない光景でありました。
 道場奥の壁にはこの、荒れ果てたと云うも甚だ疎かなる場に似あわない、大層仰々しくも大なる神棚が吊ってあって、その下には威治前宗家が両手を脇について足を投げ出して、座布団の上に鎮座しているのが見えるのでありました。威治前宗家は万太郎の姿を捉えても居住まいを改めるでもなく、万太郎に目礼も送ってこないのでありました。
「汚いところですが、お上がりください」
 洞甲斐氏にそう勧められても、万太郎は衣服に埃のつくのを躊躇って、おいそれとは靴を脱げないのでありましたが、そうもいかないのは慎に因果な運びでありました。
(続)
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