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お前の番だ! 466 [お前の番だ! 16 創作]

「私のは邪道と云うわけか?」
「今の洞甲斐先生は、常勝流とは異質のものに変化されていると申しているのです」
 万太郎はあくまでも言葉を丸くするのでありました。
「しかし常勝流の技法を発展昇華させればこのようになると云う信念を持って、私は今の自分の技法を行っている。もう少し云えば、常勝流に限らず、あらゆる武道の究極の姿は、結句こうならざるを得ないとも考えているのだがなあ」
 万太郎はこの洞甲斐先生の大論説を聞きながら甚だうんざりするのでありました。そこまで大悟なされている人とは、今の今まで思いもしなかったと云うものであります。
「僕にはそうは思えませんが」
「いやいや、君ももう少し修行すれば私の考えが段々判ってくるだろうよ」
 万太郎の語調に嘲弄の気配が忍んでいるのを全く感じられないようで、そう云って達観したような笑みを笑って見せる洞甲斐先生は、何処にでもいるような、検証する作業を端から放擲した単なる経験のみをその思想の拠り所とする、おっちょこちょいの老人のようでありましたか。まあ、洞甲斐先生は未だ老人と云う程の歳ではないでありましょうが。
「敵も然る者、という言葉もありますが、自分を害しようと襲ってくる相手をそんなに思い通りに操れるのなら、洞甲斐先生は武道技すら最早必要とされないのでしょうね?」
「武道の最終的な姿と云うものは、結局武道技から離れて仕舞うのだろう」
 万太郎の仄めかす揶揄も洞甲斐先生の鉄面皮には通用しないようでありました。
「何やら、不射之射、みたいですね?」
「何だね、その、くしゃくしゃ、とか云うのは?」
「いや、何でもありません」
 予想通り洞甲斐先生は、中島敦はご存知ないようでありました。
「私の目指すところは人知の限界を超えた技だ。大宇宙の法則とそれを造り給うた根源的な存在を感じ取り、その意志の儘に動けばそれが無敵の技となるような境地、もうそれは人の為す武道の技を超えて、云ってみれば、神技、とも表すべものだな」
 それは典型的な観念論的武道観であって、万太郎としては俄には与するものではないのでありましたし、武道はあくまで人が為すもの以外ではないと思うのであります。まあ、道場の上座に神棚が設けられていると云うのは、ここでは一先ず置くとして。・・・
「いや、神技、と云う表現はあくまでも比喩的表現であって、実体としては人間技の域にある最高度の技の事をそう云うのではないでしょうか?」
 万太郎は、ここは引けないと思うので、穏やかな語調ながら抗うのでありました。
「ああそうかね。君がそう考えるのは君の自由だがね」
 洞甲斐先生は侮るような笑みを万太郎に返すのでありました。万太郎としては洞甲斐先生を相手にそんな武技論をここで延々と戦わせるのはげんなりでありました。
「兎も角、技法の統一と云う観点から、総本部としては洞甲斐先生を常勝流にお迎えする事は平にご遠慮申し上げたいと云う事です。これは総士先生のお考えでもあります」
 万太郎は仕切り直しにそう云ってお辞儀して見せるのでありました。
(続)
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