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お前の番だ! 369 [お前の番だ! 13 創作]

 花司馬筆頭教士は慎に謙遜な言葉でその志望を述べるのでありました。
「相判った。しかし明日から総本部に来て貰ってもこちらとしては一向に構わんのだが、性急に事を運んで、威治のヤツに下らぬ謗言を許して仕舞ってもつまらんからなあ」
 鳥枝範士がそう云って腕組みするのでありました。
「自分としては、何処かで小ぢんまりと地道に、少数の同じ愛好の仲間達と稽古が出来ればそれで構わないのです。稽古が続けられるなら、それで充分なのですから」
 この花司馬筆頭教士の言は、無二の師匠と仰いだ興堂範士を失った空虚感とか、これは一方的に仕かけられてきたものではありますが、その後に続いた威治教士や会長との、気の滅入るような興堂派のヘゲモニーをめぐる暗闘に疲れて、気持ちが萎えている今現在の心境から発せられた一種の遁辞でありましょう。それにまた、こよなく愛した興堂派が衰微の危機にあると云うのに、それを見捨てて去ろうとする自分の負い目、己の無力さや情けなさ等の交々が、こんな隠遁的な言葉を此の人をして口走らせているのでありましょう。
「いやいや、お前には常勝流武道が興隆するための、推進者の側になって貰わねば困る」
 これは鳥枝範士の激励の言でありますか。
「身に余る有難いお言葉を感謝いたします」
 花司馬筆頭教士はそう云って鳥枝範士に頭を下げるのでありました。ちょうどそこに、あゆみと来間が燗の日本酒と肴を持って現れるのでありました。
「今お寿司を頼んでいますので、それが来るまでは子供騙しのようなつまらない肴ですが、これで我慢して暫く飲んでいてください」
 あゆみが徳利と夫々の猪口と急ぎ拵えた肴を来間と一緒に卓上に並べながら云うのでありました。あゆみがもの云うと、急にしめやかだった座敷の中が華やぐのでありました。
「いや、無調法にもこんな時間に出し抜けにお邪魔して、あゆみ先生には余計な手間をおかけしたようで、慎に申しわけありません」
 花司馬筆頭教士はあゆみに律義なお辞儀をするのでありました。
「いえ、とんでもありません。あたしが作った物なんかお口にあわないかも知れませんが、お寿司が来るまで我慢して食べていてくださいね」
「いやあ、道分先生とこちらに出張指導にお邪魔した折に偶にご馳走に与りましたが、どうしてどうして、あゆみ先生の手料理はどれも大変美味しかったです。道分先生もあゆみ先生の手料理を何時も楽しみにしていらっしゃいました」
「道分さんは奥さんを早く亡くされたからか、こんなような普通の家庭料理がお好きでしたなあ。お世辞もあるにしろ、あゆみも随分誉められたよなあ」
 是路総士がその折の情景を懐かしがるようにあゆみに笑みかけるのでありました。あゆみも在りし日の興堂範士を偲んで、寂し気な笑みをして静かに頷くのでありました。
「花司馬君、まあ一献」
 是路総士が徳利を持って花司馬筆頭教士に差し出すのでありました。
「は、有難うございます」
 花司馬筆頭教士は答礼して、両手で恭しく猪口を持って前に差し出すのでありました。
(続)
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