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お前の番だ! 293 [お前の番だ! 10 創作]

「えっ、新木奈さんが、あゆみさんの手を、取ったのですか!」
 万太郎はたじろいでそう声を張るのでありました。その時の万太郎の顔は、屹度あゆみに暇乞いされて呆気にとられた新木奈と、さして違わない表情であったでありましょう。
「そう。あたし新木奈さんがいきなりそんな事をするなんて思いも依らなかったから、びっくりして咄嗟にその手をふり解いたの」
「離脱法、ですね」
 常勝流に入門したら体術で最初に習うのがこの、手解き、と呼ぶ離脱法でありました。相手に様々な状態で手を取られた場合に、その握りから瞬時に脱する技法であります。
「どうふり解いたかは覚えていないけど、兎に角、ふり解いたの」
 万太郎はその時の新木奈の茫然とした顔が思い浮かぶのでありました。思わずあゆみの手を取って仕舞ったのも、自分の仕業であるのに多分自分でも驚たであろうし、その取った手をあゆみに難なく一瞬であっさりふり解かれたのにも魂消た事でありましょう。
「新木奈さんはその後どうしました?」
「あたしにふり解かれた手を宙に止めた儘にして、無表情で固まっていたかな」
 このあゆみの行為で新木奈は、あゆみへのこれまで長い時間をかけて育んできた恋慕の情への明快な拒否を、これまた一瞬で表明された事になるでありましょう。新木奈にとったら真に立つ瀬のない、どんづまりの場面が一挙に現出したと云うわけでありますか。
 万太郎は、様を見ろと云う一種の痛快感が心を過ぎる反面、何となく新木奈が気の毒にも思えてくるのは自分でも不思議な気持ちの揺らぎでありました。このアンビヴァレントな感情は、万太郎の心の奈辺から発生するのか万太郎自身も確と判らないのでありました。
「あゆみさんはその後、新木奈さんを残して、その店を出たのですか?」
「そう。そうしないとあたしのした事への引っこみがつかないからね」
「あゆみさんは毅然として、新木奈さんの前から去ったわけですね?」
「毅然としてかどうかは判らないけれど、間違いなく無愛想な顔はしていたでしょうね」
 あゆみの普段は隠れた気の強さが、如何なく発揮された場面でありましょう。万太郎はあゆみに対するある種の畏怖の念を秘かに新たにするのでありました。
「そんな事があったとなると、新木奈さんはもう稽古に復帰する事はないでしょうねえ」
「そうかしら。でもその内に、しれっと現れたりして」
「いや、それは先ずないでしょう。新木奈さんはプライドを傷つけられたり体裁を潰されたりする事象に対しては、誰よりも脆いタイプだと思われますからねえ」
「まあ、あんな事があっても、しれっと現れたとしたら、あたしの方が困るけど」
「あゆみさんは別に悪びれる必要は何処にもないじゃないですか。しかし、でも、矢張り新木奈さんはもう道場には現れないと思いますよ」
「そうかしらね」
 あゆみはその点について少し考えるような顔つきをするのでありました。「あたし、新木奈さんに対して、悪い事をしたかしらね?」
「いや、それはありませんね。寧ろ僕に悪い事をしたとは云えるかも知れませんが」
(続)
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