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お前の番だ! 292 [お前の番だ! 10 創作]

「でも新木奈さんはそれを云わんとして、態々あゆみさんを呼び出したのでしょう?」
「そうね。あたしもそう思うから、一応真剣にその事を考えるわけよ」
 まあ、新木奈としては勿論そんな自分の窮状を訴えると云うのも、あゆみを呼び出した理由の一つかも知れないでありましょうが、しかしそれと同時に、あゆみを食事に誘い出す恰好の口実としてそれを使うと云う魂胆があったのであります。どちらかと云うと、その方が主たる思惑ではなかったのかと万太郎は推察するのでありました。
「それとも実は大して若先生の事は苦にも思っていないのに、単にあゆみさんをデートに引っ張り出すための理由としてその事を使っただけなのでしょうかね?」
「さあ、それはあたしには何とも判らないわ。ただあたしとしてはその事以外の、新木奈さんの仕事の話しとか旅行やゴルフなんかの趣味の話しとかを聞くだけなら、態々調布の街まで出かけて行った意味がないと云うのは確かね」
「新木奈さんはあゆみさんに優し気に笑いかけて、一旦稽古の話しを打ち切った後、またぞろそっちの方面の話しなんかを始めたのですか?」
「そうね。でも今度はあたしの趣味とか、武道や書道以外の好きな事とかを訊いてきたけどね。まあでも、あたしとしては威治さんと新木奈さんの確執がどうしても気になるから、あんまり乗り気でそう云った話しを聞いたり話したりするわけにはいかないわ」
「それはそうでしょうね。あゆみさんには、それに僕にしても新木奈さんから云われた事は、かなり重い問題ですからねえ」
「そうなの。何か道場の指導者としての自分の資質を問われているような具合じゃない」
 新木奈がひょっとして、あゆみを呼び出すための恰好の口実と云うだけの軽い気持ちでその話しを用いたとしたら、それは余りにあゆみの立場や自然な心の動きに無神経だったと云えるでありましょう。そんな間抜けな事は滅多にやらかさない、諸事にもう少し抜け目のない男だと思っていたのでありますが、存外新木奈と云う男は、人の心の機微に関しては、日頃の言動から推察される印象よりはうっかり者か初心な人間なのかも知れません。
「で、ね、あたし、あたしのその時の、重い懸案とはかけ離れた話しばかりをする新木奈さんに、段々うんざりしてきたのよ」
 あゆみは眉根に少しの険を添えるのでありました。「それで、新木奈さんの話しを途中で遮って、先程の感想を聞かしてくれてありがとうございます、その事は大変重要な事だと思えるので、その事で心が一杯になって他の話しは上手く聞き取れそうにありません、だからこれで失礼しようと思いますなんて、暗い声で云ったの」
 このつれないあゆみの言葉に、その時の新木奈の呆気にとられた顔が万太郎の目に浮かぶのでありました。新木奈にしたらとんだ思惑違いであった事でありましょう。
「それは新木奈さんにしたら、意外にきついあゆみさんの言葉だったでしょうね?」
「そうかもね。新木奈さんは自分のさっきの話しに、あたしが怒ったと思って怯んだような顔になったわ。あたし別に怒ったわけじゃなくて、少し気が重くなっただけだって説明して、その儘その日はもう帰ろうと思って立ち上がったの。そうしたら新木奈さんは、思わずと云った感じで急にあたしの手を取って、あたしが帰ろうとするのを止めるの」
(続)
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