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お前の番だ! 288 [お前の番だ! 10 創作]

 まあ、あゆみの気を引こうとしての事でありましょうが、新木奈にしては余りに脇が甘いと云うものでありましょうか。実践で大したところがない分、論で大したところをあゆみに見せようと云う心算かも知れませんが、それはやや無謀と云うものであります。
「こう云っては何ですが、それは稽古と云う限定の中で、はっきり云うべき事があってとか、相談をするためにあゆみさんと逢おうとしたと云うよりは、単に一般的な意味でのデートをしたい、と云う魂胆であゆみさんを呼び出したとしか見えませんね」
 それは兎も角、万太郎は新木奈の真意をそう断じるのでありました。
「あたしなかなか本題に入らない新木奈さんに段々げんなりしてきて、あたしが聞いても無意味でない新木奈さんの稽古の感想と云うのを、ぼちぼち聞かせてくれないかって、話しの途中だったけど切り出したのよ。そうしたら新木奈さんは少し白けた表情をしたわ」
 あゆみが続けるのでありました。「新木奈さんは、ああそうでしたね、なんて笑って、それまでの話しを止めて、一呼吸するようにコーヒーを飲むの」
 得意になってあゆみに多趣味ぶりを披露していたのに、それを当のあゆみに中断されて仕舞って、新木奈としては大いに戸惑ったでありましょう。あゆみが自分の話しに魅かれて聞き入っているとばかり思っていたのに、実はそうでもなくて退屈していたようだと云う発見は、新木奈にしたら全く意外だったしショックな事柄だったでありましょうか。
 そんな勘違いをしていたと云う自分の体裁の悪さ自体も、大いに新木奈の自尊心を傷つけた事でありましょう。万太郎から見れば、そんなものは笑話の一種以外ではないのでありますが、まあ、これは現場にいない万太郎の勝手な忖度と云うものではありますが。
 つまり、新木奈にはあゆみが全く見えていなかったと云う事でありますか。あゆみの目に映る自分の像の方には何時も人一倍気を遣っているのでありますが、あくまでそれは自分への視線であって、あゆみをちゃんと見る事は竟に一度もなかったと云う事であります。
「新木奈さんが云うにはね、この頃の稽古には統一感がなくて、稽古する門下生の気持ちが散漫になっているような印象があると云うの。前はお父さんとか、鳥枝先生とか寄敷先生が稽古の中心にでんと座っていて、稽古全体を完全に掌握していたけど、その三人の姿が道場から欠けてからは、何となく稽古に締まりがなくなったように感じるんだって」
 以前から稽古に締まりをなくしていた当の本人がどう云う了見で、何を今更どの面下げて、そう云う利いた風な評言を吐くのかと万太郎は心中呆れるのでありました。
「あの新木奈さんが、それを云ったのですか?」
 万太郎の云い方は竟失笑紛れでありましたか。
「まあ、ね。・・・」
 あゆみも口の端を笑いに動かすのでありましたが、と云う事はあゆみもそれを新木奈から聞いた当座、万太郎と同じ思いに駆られたのでありましょう。「でも、云われてみれば確かに、そう云う面もあるかも知れないなって、あたしそうも思ったのよ」
「それはつまり、僕等には三先生のような稽古を統括する者としての威厳と云うのか、迫力と云うのか、そう云うものが備わっていないって事でしょうかね?」
「そうね。つまり、そう云う事ね」
(続)
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