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お前の番だ! 276 [お前の番だ! 10 創作]

 しかしすぐに、総本部道場を主導的に運営しそこで行われる稽古を統括する者の一人として、そんな不謹慎な了見ではいかんと万太郎は自分の不見識を自ら叱るのでありました。技術は教える者の品格を介してしか学ぶ者に正確に伝わらないと云う、武道技の授受の鉄則からしても、人知れずとは云え不埒な思考は万太郎には絶対に許されないのであります。
 ところで、もう一人の運営者であり統括者であるあゆみは、この辺のところをどう云う具合に考えているのでありましょうか。チャンスさえあれば何かと自分を売りこみたがる二人の男共の騒がしさを、少なからず持て余しているように見受けられるのでありますが。
 勿論あゆみは二人の男共の自分に対する熱気を、疾うに判ってはいるでありましょう。しかし男共の意気軒昂な狂騒に比べると、あゆみの二人に応接する態度はなかなかに何時も、しいんと静まっているように万太郎には思われるのであります。
 静まっている、或いは見方に依っては冷ややかであると云う事はつまり、あんまり二人の男共の自分に対するご執心ぶりを歓迎していないと云う事でありますか。いや勿論、あゆみが万太郎の想像の限界を超えた狸でないなら、と云う前提でありますが。
 さてところでそれにしても、あゆみは実際に、狸ではないでありましょうや? 万太郎はふとそんな事を考えてみるのでありました。
 普段接するあゆみは如何にも違うように思われるのでありますが、それは若しかしたら万太郎のあゆみに対する油断が、彼の眼に知らず知らずに薄膜をかけて仕舞っていて、あゆみの実相を見えにくくしているのかも知れないではありませんか。いやしかしまさか、あゆみに限って狸なわけがないかと万太郎は疑念をふり払おうとするのでありました。
 しかししかし、他人の本性を見抜くなんと云う冷徹な観察眼が自分に備わっているとも、万太郎には到底思えないのでありました。特に世に棲む女なる生物は一般的に男には不可解至極なる翳を多く有する生き物のようでありますから、万太郎の如き世知にちっともたけない男なんぞは、いとも簡単に騙くらかされ仕舞うに決まっているでありましょう。
「万ちゃん、あたしの顔に何かついているの?」
 狸かも知れない不可解至極な生き物が、いやあゆみが、万太郎の顔を覗きこむのでありました。万太郎は慌てて数度瞬きをして、あゆみの顔から目を逸らすのでありました。
「ああいや、別にそうではないのですが。・・・」
 夕食の片づけも終えて、風呂場に行っている是路総士とその介添えの来間が居なくなった食堂のテーブルに、あゆみと差し向かいで座ってコーヒーを飲んでいる万太郎は、何となくばつの悪そうな仕草でカップを口に運ぶのでありました。
「あゆみさんは神保町の若先生が稽古に参加すると、指導がやり難いですか?」
 万太郎は取り繕うようにそんな質問をあゆみに投げるのでありました。
「そうね、何をやらかすか油断がならないと思って、最初はちょっとげんなりしたけど、あれ以後は特に何も仕出かさないから、今ではそんなでもないわ」
 あれ以後の、あれ、とは威治教士が一般門下生稽古に参加した初日、新木奈の肩を必要以上に強く極めて、新木奈に悲鳴を上げさせると云う不体裁があったあの時であります。
「あゆみさんに対しては、若先生はなかなか協力的ですからねえ」
(続)
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