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お前の番だ! 215 [お前の番だ! 8 創作]

「あと二か月とちょっとで、良さんは鳥枝建設の正社員ですねえ」
 寝る前の内弟子部屋で、敷き伸べた布団に胡坐で対座して、例によって良平が香乃子ちゃんの実家から貰ってきたと云うお土産の花林糖を摘みつつ、良平の入れたコーヒーを飲みながら万太郎は良平にそう声をかけるのでありました。万太郎は云う前に少し考えて、敢えて、ここを去るのですねえ、とは云わずに置くのでありました。
「そうだな。もうすぐだな」
 良平は無表情で無抑揚に返すのでありました。
「ぼちぼち会社の方にも、時々顔を出しておかなくても良いんですか?」
「鳥枝先生から、正式の入社までは道場の方に専念するようにと云われているからな」
「ああそうですか」
 万太郎はマグカップのインスタントコーヒーを一口飲むのでありました。口に入れていた花林糖の糖蜜がコーヒーの苦みに霧散するのでありました。
「来間は何時からここで寝泊まりする事になるんだい?」
 良平と入れ替わりに住みこみの内弟子となる来間は、大学の卒業試験の只中と云う事で、このところ道場には現れていないのでありました。
「良さんがここを出た後ですよ。つまり三月の二十五日以降です」
 良平が香乃子ちゃんの家に引っ越すのは、もうその日と決まっているのでありました。
「来間が来れば、万さんは手下が出来るようなものだな」
 万太郎は、前に大岸先生にもそんな風な事を云われた事を思い出すのでありました。
「いや、兄弟子にはなりますが、来間は僕の手下ではありませんよ」
「兄弟子と弟弟子は上司と部下みたいなものじゃないか」
「いや、微妙に違いますよ」
「ああそうかね」
 良平はそう云ってから口の中の花林糖を噛み砕くのでありました。
「ところで良さんと香乃子ちゃんとの結婚がこんなにすんなり纏まるとは、僕としては全く意外でしたねえ。向うのご両親が給料四万円しか貰っていない、将来もあやふやな常勝流の内弟子風情に、よく娘を嫁にやる気になったものだと思いますよ」
「偏に、鳥枝先生のお蔭だな、結婚も俺の正式就職の件も。鳥枝建設の前社長で現会長が直接話しを持っていって、俺の身元を保証してくれれば、向こうも断る理由はない」
「そりゃそうか。それなら向こうだって、良さんが将来有望な男だと勘違いしますか」
「勘違い、と云う云い方は少し引っかかるが、まあ、そう云う感じだな」
 良平は苦笑うのでありました。「鳥枝先生が全く好都合に出馬してくれたものだよ」
「鳥枝建設では良さんは何の仕事をするのですか?」
「そりゃ未だ判らんが、最初の一年は何でもやらされると云う話しだ」
「建設現場にも出されるんですかね?」
「それもあるだろうよ」
 コーヒーを飲む良平の喉仏が昇降する鉄槌のように大きく上下に動くのでありました。
(続)
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