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お前の番だ! 208 [お前の番だ! 7 創作]

「ちょっとお茶でも飲んでいかない?」
 あゆみが上野駅で切符を買おうとする時に云い出すのでありました。
「夕飯の支度があるんじゃないですか?」
 万太郎は券売機の前で横に立つあゆみに問うのでありました。
「今日はお父さんは昔馴染みの人と外で逢うんで、帰りは遅いのよ。どうせ飲む事になるだろうから夕飯も要らないんだって」
「ああそうですか。良さんもデートらしいから帰りは遅いでしょうね」
「だったらちょっとお茶を飲んで、それから何処かで外食して帰ろうか?」
「僕はそれで全く異存有りませんが」
 万太郎は努めて無表情に頷くのでありましが、しかしあゆみと二人だけで外食するのは初めての事なので、実は少しばかり心が躍るのでありました。
 二人はお茶の水に出て、レモンと云う画材屋さんがやっている喫茶店に入るのでありました。あゆみは大分以前に興堂派の道場に行った折にここへ立ち寄って以来、チーズケーキが気に入ってお茶の水を訪ったら時々立ち寄るのだそうでありました。
「お茶の水の喫茶店と云ったら、僕は学生時代に神保町の古本屋に行った帰りに、駅前のウィーンとか、坂の途中にある田園とかには入った事がありますよ」
 奥まった席について、あゆみのチーズケーキとコーヒーの注文に万太郎はそっくり便乗した後、それが来るまでの間に云うのでありました。
「ああ、矢鱈に大きなお店ね。あたしも行った事あるわ。でもここくらいの大きさのお店があたしは落ち着くかな。それにここのチーズケーキ、一度食べてみて。美味しいから」
「はあ、あゆみさんのご推薦ですから期待します」
 万太郎はそう返すものの、実はケーキに対する好みは特にないのでありました。余程の事がない限り、自分から進んでケーキを注文する等、経験もないのでありました。
「どお、美味しい?」
 運ばれて来たケーキを口に入れる万太郎を見ながらあゆみが訊くのでありました。
「ええまあ、美味しいです」
「何かあんまり感動のない云い方ね」
 あゆみは万太郎の反応に少しがっかりしたような顔をするのでありました。
「僕は実のところ、ケーキは苦手ではないのですが大好物と云うわけでもないから、今までそんなに沢山色んなチーズケーキを食した経験がありません。ですから正直云ってこれが美味いのかそうでもないのか、はっきり判定がつけられないのです」
「なあんだ、折角連れてきてあげたのに張りあいのない感想ね」
 あゆみは溜息をついて力なく笑うのでありましたが、心底がっかりしていると云うよりは、やれやれ仕方のないヤツ、と云った風に万太郎のチーズケーキの味に対する鈍感を、鷹揚に許してくれるような風情がその表情に仄見えるのでありました。
「どうも済みません」
 万太郎はばつの悪そうな笑いをして頭を掻くのでありました。
(続)
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