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お前の番だ! 169 [お前の番だ! 6 創作]

 上野駅から程近いギャラリーで開かれている書道展は、開場準備が未だ完了していないのでありました。展示スペース奥に在る関係者控え室に挨拶に行くと、椅子に座っていた大岸聖子先生が早速万太郎を手招くのでありました。
「万ちゃん到着早々で悪いけど、受付のテーブル運びとか休憩用の椅子を並べるのを手伝って頂戴。女共は余所行きの和服が多いから捗々しく動けないのよ」
「はい、承りました。お安いご用です」
 万太郎は上着を脱ぎながら云うのでありました。脱いだ上着を何処へ置こうかと辺りを見回していると、あゆみが片手を出してその上着を預かってくれるのでありました。
「展示場の、ここに着いて一番初めに挨拶した黒いスーツを着た中年の男の人が居たでしょう、あの人が会場設営の責任者だから」
「ああ、判りました。その人に指示を仰ぎますよ」
 万太郎は大岸先生に、それからあゆみに、その後に控え室を出る折に中に向かって律義に立礼してから、部屋の扉を静かに閉めるのでありました。閉め際に万太郎に向かって笑みを送るあゆみの顔が、狭まる空間の中に最後まで見えているのでありました。
 展示スペースでは黒いスーツ姿の中年の男と少し若い紺のスーツ姿の男、それにこれも暗色のスーツを着た若い女が二人、折りたたみ机を運んだりパイプ椅子を並べたりしているのでありました。万太郎も加勢に加わるのでありましたが、開場前から来ているのであろう出品者と思しき、老若及び男女の、どちらかと云うと老と女の多い一団が自分の作品を探したり、畳一枚程もあろうかと云う大判の書が壁に掲げてある前で、何やら賑やかに談笑する間を窮屈そうに縫いながら、件の四たりの作業連は立ち働くのでありました。
「ご苦労様。来た早々申しわけなかったわね」
 粗方の仕事を終えて控室に戻った万太郎に大岸先生が声をかけるのでありました。
「いえ。僕は裏方手伝いに来たのですから遠慮なくあれこれと申しつけてください」
 万太郎は大岸先生の慰労の言葉にお辞儀を返すのでありました。
「はいこれ、お駄賃」
 大岸先生は万太郎の掌に小ぶりの饅頭を二つ載せるのでありました。
「ああどうも、有難うございます」
「ほんのお愛想よ。座ってお茶でも飲んでいて」
「いや、他に仕事があれば何でもやりますよ」
「また後から、色々お願いするから」
 大岸先生はそう云って万太郎に奥のパイプ椅子に座るようにと促すのでありました。
 控え室は殆どが粧した女の人ばかりで、仄かな白粉やら香水の匂いが揺蕩っていているのでありました。万太郎は何となく場違いな処に居るような心持ちで、隅のパイプ椅子に小さくなって座って、大岸先生から貰った饅頭をちびちびと齧っているのでありました。
「はいこれ」
 あゆみが近づいて来て、淹れたての茶が微かに湯気を上げている茶碗を手渡してくれるのでありました。万太郎は齧りかけの饅頭を口に押しこんで立ち上がるのでありました。
(続)
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