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お前の番だ! 159 [お前の番だ! 6 創作]

「本当は自分が行く筈だったんだけど、明後日に広島支部で周年行事があってね、道分先生の代理で出席しなければならなくなって、それで今回は板場に変わって貰ったんだよ」
「こちらの内弟子の皆さんは、あちらこちらと飛び回っておられて忙しいですね」
「本当はマレーシアと台湾の方が自分としては良かったんだが、広島支部はウチの支部の中でも古参でしかも大所帯で大事な支部なものだから、自分にお役が回ってきたんだよ」
「そうですか。気をつけて行っていらしてください」
「ああ、有難う」
 花司馬筆頭教士は万太郎にもう一度、今度は多少くだけた風に頭を下げるのでありました。万太郎の方も、それほどくだけない様子で再度お辞儀するのでありました。
 万太郎は次に威治教士の前へ行って正坐して、威治教士に向かって同じく挨拶するのでありました。威治教士が突っ立った儘で頷くのは何時も通りでありました。
 宇津利が云うように確かに、万太郎を見下ろす威治教士の口元辺りが、本人は無意識なのでありましょうが少し綻んでいるようにも見えるのでありました。ところで宇津利辺りがそんな事を口走るくらいでありますから、興堂派道場の門下生の間では、威治教士が総本部のあゆみに熱を上げているらしいと云うのは全く公然の事なのでありましょう。
 白の稽古着に黒袴をつけたあゆみが道場に現れると、万太郎と花司馬筆頭教士がすぐに近づいて立礼するのでありました。興堂派道場でも総本部と同様に、稽古中に袴の着用が許されているのは教士以上の者でありました。
「本日の稽古、よろしくお願いいたします」
 あゆみは正坐して花司馬筆頭教士にお辞儀するのでありました。あゆみより一瞬早く正坐の姿勢を取った花司馬教士があゆみに律義らしく座礼を返すのでありました。
「こちらこそよろしくご指導ください」
 万太郎は挨拶を交わす二人と少し離れた辺りに正坐して控えるのでありました。
「ああ、あゆみさん、久しぶり」
 そこへ威治教士が近づいて来るのでありました。あゆみは威治教士の方へ向き直って、敢えて表情をつくらないで、端正ながらあっさりとしたお辞儀をするのでありました。
「急に伺って稽古にも出させていただく事になりました。よろしくお願いいたします」
「あゆみさんの参加なら何時でも大歓迎ですよ」
 威治教士は慎に機嫌の良い愛想笑いを浮かべてあゆみの傍に正坐するのでありました。あゆみの参加なら大歓迎と云う云い草は、つまり万太郎の参加は大して歓迎していないと云う表明であろうかと、万太郎は威治教士の言葉を竟へそ曲がりに取るのでありました。
 廊下から足音が近づいて来て、新米内弟子の堂下の露払いで興堂範士が道場に現れると、道場内の空気が引き絞られた弓弦のように緊張するのでありました。仕来たり通りに礼を交わすと、興堂範士があゆみの方を向いて笑いかけるのでありました。
「今日は総本部のあゆみ先生が折角いらしているから、一つ基本動作と打ちこみ鍛錬の号令はあゆみ先生にお願いしましょうかな。何時もの威治教士や花司馬筆頭教士のむくつけし号令なんぞよりは、その方がウチの門下生共も余程張り切ると云うものじゃからな」
(続)
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