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お前の番だ! 144 [お前の番だ! 5 創作]

 この良平の言葉に対しては、是路総士は無表情の儘聞き流して一寸尺も頷かないのでありました。と云う事はつまり一般門下生をお客さん扱いにして、只管ご機嫌を損じないように気をつけなければならないと云う考えには、是路総士としては全面的に与しているわけでなないのであろうと推察して、万太郎は内心安堵するのでありました。
 幾ら一般門下生とは云いながら弟子には違いないのでありますから、不謹慎な稽古態度を無制限に許していては武道の稽古にはならない筈であります。武道稽古の楽しさと云うものは表面上の楽しそうな様子とは違うところに在ると云う事を教誨するのも、不心得な弟子に対する師匠の愛情の一つでもあると云うものでありましょうし。

 神保町の興堂派道場に向かう御茶ノ水駅からの道すがら、あゆみが横を歩く万太郎に話しかけるのでありました。
「それは道分先生の、万ちゃんに対する愛情の表れに違いないわ」
「道分先生の道場に稽古に伺う度に、何かと若先生と組んで稽古させるのが、ですか?」
 万太郎は、端と端を結んで輪を作った自分の稽古着の入った風呂敷包みを右肩に荷い、左手にはこれまた風呂敷に包んだ、是路総士から頼まれた進物の日本酒の一升瓶をぶら下げているのでありましたから、駿河台辺の下り坂が妙に歩きにくくて、時々横のあゆみから肩一つ分ほど遅れるのでありました。あゆみは自分の稽古着の入った風呂敷包みは自分で持ってくれているので、その分は少し助かるのでありましたが。
 この日の出稽古が是路総士の出張剣術稽であったなら、右手に是路総士の稽古着の風呂敷包みと、左肩に二本の木刀の入った木刀入れを持たなければならないので、両手両肩が塞がって仕舞うわけであります。それに駅で切符を購入したりするのも万太郎の仕事でありますから、興堂派道場に着く頃にはくたびれ果てているであろうと思うのでありました。
 興堂範士の申し出から始まった万太郎と良平別々の週に一度の興堂派道場への出稽古に、その日はあゆみが同道するのでありました。と云うのも、興堂派の新しい支部が千葉の市川に開設されるのが本決まりになったと総本部に報告があったので、その取り敢えずのお祝いの使者をあゆみが是路総士から承ったためでありました。
「将来の常勝流武道のために、興堂派の威治さんと総本部の万ちゃんの気心が通じあうように、との道分先生の配慮じゃないかしら。」
「そうでしょうかねえ」
 万太郎は些か懐疑的な目をしてあゆみの横顔を見るのでありました。「そう云う事ならば僕なんかより、あゆみさんと若先生と云う跡取り同士の気心が通じあうようにと取り計らうのが、どちらかと云うと本筋のように思いますけど」
「あら、あたしは跡取りになる気はならないわよ」
 あゆみが万太郎の顔を、目を見開いて真正面から見るのでありました。その表情が実に愛くるしくて、万太郎は何故か思わず照れて、視線をあゆみから逸らすのでありました。
「しかし常勝流は一子相伝ですし、そうなら跡取りはあゆみさんしかいないでしょう?」
「それは、建前上はね」
(続)
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