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お前の番だ! 143 [お前の番だ! 5 創作]

 是路総士は机上の自分の杯に手を遣りながら、余裕の笑いとも苦笑ともつかない笑みを頬に浮かべるのでありました。
「ま、確かに新木奈さんは稽古中に組んだ相手とよくお喋りをしたり、こちらの気合が抜けるような妙な声を、意識的にか無意識にか、上げたりする事があるなあ」
 良平が万太郎から一升瓶を受け取り、あゆみの杯に酒を注ぐのでありました。良平も新木奈がそんな稽古態度である事をちゃんと認識しているようではあります。
「へえ、そうなの? そう云うところ、あたしは見た事がないけど」
 あゆみが良平の手から一升瓶を取り、良平と万太郎に注いでくれるのでありました。
「その了見は確とは判らないが、まあ確かに、あの人の稽古態度は実に騒がしい」
 是路総士がまた頬に笑みを湛えるのでありました。
「そのせいで道場全体の緊張感が削がれる事を僕は危惧します」
 万太郎が拘るのでありました。
「活気があって楽し気ではあるぞ」
 良平が自分の杯を口元へ持ち上げるのでありました。
「ああ云うのを稽古の活気とは云わないと思いますよ」
 万太郎も杯を口元に運びながら良平を見るのでありました。「それに楽し気だと云うのも僕には異議があります。へらへら笑ってお喋りして冗談半分に面白可笑しくやるのを楽しい稽古だとはちっとも思いません。真剣に何もかも忘れて打ちこむ事が、寧ろ稽古の醍醐味じゃないですかね。それでどうしても出来なかった動きが少し出来るようになったり、判らなかった動きの意味が少し判ったりする事が、つまりこよなく楽しいわけですよ」
「ま、それはそうだが」
 良平は杯を一気に空けるのでありました。
「万ちゃん、意外に堅苦しいのね」
 あゆみが万太郎に笑いかけるのでありました。万太郎としてはあゆみに、堅苦しいと云われるのは些か心外でありましたが、まあ、確かにそう云われても仕方ない自分の云い様だとも頭の隅の方で考えるのではありました。
「まあ、その内新木奈さんも変わる事を期して、折野もあんまりカリカリしない事だ」
 是路総士が万太郎を見ながら云うのでありました。
「内弟子でも専門稽古生でもない、云ってみれば一般門下生と云う道場の大事なお客さんなんだから、へたに注意なんかして辞められては元も子もない」
 良平も万太郎を見るのでありました。是路総士にも良平にもそう諭されるような風に見つめられて仕舞うと、まるで万太郎一人が新木奈に非寛容な事を云い募っているような気配ではないかと、万太郎としてはこれも些か心外な気がしてくるのでありました。
「押忍。僕も道場の内側の人間ですから、お客さんとしてその不謹慎な稽古態度に目を瞑れと云われれば、素直にそれに従うのに吝かではありませんが」
 万太郎は小難し気な顔をして是路総士の空になった杯にまた酒を注ぐのでありました。
「そうそう、お客さんは大事にあしらわんといかんのだぜ。そうですよねえ、総士先生」
(続)
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