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お前の番だ! 142 [お前の番だ! 5 創作]

 相手の特定の部位に痛みを与えて体勢を崩したり、痛みから逃れようとする動きに乗じて相手を投げたりするのは体術の常套的な技術であります。こちらの優位を確保したり、相手を決定的に制圧したりするために痛みを利用するのは当然なのであります。
 武道の稽古に痛みはつきものなのであります。それを必要以上に恐怖していては稽古にならないし、痛みに対する耐性を身につけるのも稽古の内なのだとも云えます。
 しかし新木奈はそれがどうしても嫌いらしく、約束の組形稽古に於いても相手の力を受けつけまいと体を固く閉ざして形とは異質の動きをしてみたり、相手との形稽古上の協調的な動きを敢えて拒絶したりするのでありました。そのくせ自分が痛みを与える側として形稽古をする時には、特に自分より未だ稽古経験の浅い門下生に対しては、相手の苦悶の表情を面白がるように得意になって適正以上の力を加えたりするのでありました。
 抑々武術なんと云うものは、命の遣り取りに勝つための術として編み出され稽古されてきたものであります。身体の特定部位の痛み程度に一々恐怖していては、それこそ命が幾つあっても足りないと云うものでありましょう。
 また命の遣り取りを大前提にしているからこそ、稽古は厳粛に行われるべきなのであります。一撃で命を奪える程の技術の苛烈さや鋭利さを磨くと同時に、それ故その磨く過程に於いては、稽古相手への労わりをも決して忘れてはならないとされるのであります。
 殺傷の術としての武術が殺傷を自ら封じ心身の錬磨と、相手と須らく協調する事に依って寧ろ伴に生き伴に高い境地に到ろうとする業法として揚棄され、武術から武道となったその過程を追体験するのが大きな意味での稽古であるなら、痛みに対しても稽古に取り組む姿勢に於いても、新木奈の態度は不適正と云うべきでありましょう。その了見を変えようとする気が更々ないのであるなら、常勝流武道の修業から足を洗って、もっと他の、そう云う態度を容認してくれる武道やスポーツに、さっさと鞍替えすべきであると万太郎は思うのでありましたが、道場経営者としての是路総士の意見は些か違うかも知れませんが。
「新木奈さんは教えてもその場では頷くんだが、なかなか教えた通りに動かないな。自分に自信、或いは自己愛があり過ぎて、人の教えに素直に従えないのかなあ」
 是路総士がそう云って杯の酒を飲み干すのでありました。
「自信があり過ぎる、と云う表現に見あうような技量では到底なさそうに思いますが」
 万太郎が是路総士の杯に日本酒を注ぎながら云うのでありました。是路総士はその万太郎の横顔を少し驚いたような表情で眺めるのでありました。
「おや、折野にしては、しれっとしてなかなか辛辣な事を云うなあ」
「いや、どうも済みません。僕ごときが生意気な事を云って仕舞いました」
 万太郎は頭を掻くのでありました。「ただ、見ていて新木奈さんは面白可笑しく稽古をやろうとする思いが先走る分、真摯さの点で欠けるものがあるような気がします」
「まあ、武道の稽古の他にあの人は色々やっているようだから、ウチの稽古も楽しくやりたいと云うところなのだろうよ」
「余所での了見を遠慮もなくこちらに持ちこむのは、少し違うように思いますが」
「まあ、あの人は一般門下生で、専門稽古生や内弟子じゃないからなあ」
(続)
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