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お前の番だ! 132 [お前の番だ! 5 創作]

 まあ確かに、幾ら良平が板前気取りで張り切っているとしても、男手だけでは行き届かないところもあれこれあるに違いないと万太郎は思うのでありました。仕出し弁当とは別に酒の肴を拵えるなんぞと云う事は、思いつきもしなかったのでありますから。
 大岸先生にはあゆみばかりではなく万太郎も良平も、週に一度道場の手空きの時に先生宅まで出向いて書を習っているのでありました。武道家の嗜みとして芸術性は別にして、一応は能筆であった方が良かろうと云う是路総士の意を受けての事でありました。
「ほい、熱燗二丁上がり!」
 良平が湯気の漂う徳利を布巾で拭いながら云うのでありました。
「じゃあ万ちゃん、この小皿四つとそこの大皿も一緒に持って行ってね」
 大岸先生が菜箸の頭でテーブルの上を差すのでありました。小皿は先程から大岸先生が盛りつけていた大根と人参を細かく刻んで小鰯の焙ったものを散らした膾が、大皿には乱切りの大根と豚肉を醤油で甘辛く煮たものが体裁良く盛りつけてあるのでありました。
「押忍、判りました」
 万太郎は大きめの朱盆に皿を移しながら、書道の先生に対して「押忍」の返事は具合が悪かったかしらとちらと思うのでありました。
「取り皿も一緒に持っていくのよ」
「はい。判りました」
 万太郎は食器棚から白い取り皿を四枚出してそれも重ねて朱盆に載せてから、台所を出て廊下を趨歩するのでありました。胸の前に抱え持った朱盆から立ち上る、煮つけの香ばしい匂いに万太郎の腹がぐうと反応するのでありました。
「おお、大根と豚肉の煮つけじゃな」
 興堂範士は盆に載せられた大皿を見て大袈裟に喜んで見せるのでありました。「これはワシの大好物じゃが、ひょっとしてあゆみちゃんが帰って来ておるのかな?」
「いえ、あゆみさんは未だお帰りになっておりません」
 その万太郎の返事を聞いて、興堂範士の横で威治教士が少しがっかりしたような表情をするのでありました。万太郎は目の端でその顔を見るともなく見るのでありました。
「するとこの料理は誰が作ったんだ?」
 鳥枝範士が、手際良く大小の皿を座卓の上に並べている万太郎の手つきを見ながら訊くのでありました。「呑気者の面能美が気を利かせて前もって仕こんでいたとは思えんが」
「押忍。大岸先生がいらしていて、これは先生が家で作って来られたもののようです」
「おや、大岸先生がいらしているのか?」
 これは是路総士が万太郎に訊く言葉でありました。
「押忍。あゆみさんに頼まれたからと云うので、台所にいらっしゃいます」
「それは慎に忝い事だ。こちらにお呼びしろ」
 是路総士にそう命じられて万太郎は急ぎ台所に引き返すのでありました。
「総士先生のお呼びなら、少しだけ顔を出してきますか」
 大岸先生はそう云って万太郎に先導されて師範控えの間に向かうのでありました。
(続)
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