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お前の番だ! 86 [お前の番だ! 3 創作]

「折野君、何か好きな食べ物があったら聞いとくよ」
 箸を動かしながらあゆみが万太郎に話しかけるのでありました。万太郎は焼いた鯵の開きを口に運びながら上目であゆみを見るのでありました。察するところ、この家の料理一般はあゆみが殆ど担当しているようであります。
「そうですねえ、嫌いなものが何もない、と云った方が早いですね」
 こんな返答では訊ねた張りあいもなかろうかと、万太郎は云った後に反省するのでありました。しかし実際、万太郎はどんな場合でも出されたものは何に依らず総て口に入れる性質で、文句の一言も決して云わないのでありました。
 外食でも、時々塩昆布と高菜の油炒めで茶漬けが食いたいとか、妙な嗜好が頭の毛穴から飛び出す事もありはするものの、大体において大学の学食でも街の定食屋でも、ラーメンとカレーと素饂飩の他の場合は、今日のお勧め定食、と相場が決まっているのでありました。食い物を具体的にあれこれ心象する力が大いに欠如しているのでありましょう。
「出された物は何でもガツガツと残さず食べるって口ね」
「はい。ガツガツといきます」
「ま、その方が、面倒がなくて良いけどさ」
「その代り飯の量を何時も大目に願えたら、これに勝る喜びはありません」
「量に関しては、どんなに多くても大丈夫よ」
「それを聞いて安心しました」
 万太郎はニンマリ笑うのでありました。それにつけても、あゆみのこの、道場にいる時とは大きな落差のある物腰はどうでありましょうや。
 道場では折野と呼び捨てにしていたのにここでは急に、折野君、ときたらまごまごすると云うものであります。しかも語気が、別人が話しているように円やかなのであります。
 恐らくあゆみなりにけじめをつけていると云う事でありましょう。稽古着を着て道場に在れば典型的な厳しい先輩内弟子として、母屋に在っては優しい姉のような存在として。
 一体どちらがあゆみの天性に、より近いのでありましょうや。察するところ母屋の方が何となく板についているように見えるのでありますが、しかしまあ、これは万太郎の希望的推量と云うものなのかも知れません。
「お変わり自由よ。但し自分でご飯は装ってよ」
「ではお言葉に甘えて早速」
 万太郎は空になった碗を持って立ち上がるのでありました。
「おう、序に俺の分も頼む」
 横の良平が急いで残りの飯を口の中に掻きこんで、自分の碗を万太郎の前に横着な仕草で差し出すのでありました。早速、扱き使いが始まったようであります。
「押忍」
 万太郎は良平の碗を恭しく受け取るのでありました。
「俺のは小盛りでな」
「押忍。小盛り、承りました」
(続)
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