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お前の番だ! 80 [お前の番だ! 3 創作]

 次に万太郎はあゆみに前後の足を換えて、同じ姿勢でまた十分間の静止を要求されるのでありました。確か鳥枝範士が鳥枝建設の会長室で万太郎と面接した折、無意味にしごくなんと云う愚にもつかないどこかの学校の体育会のような真似は端からしない、と云っていた言葉が頭の中に虚しく蘇るのでありました。
 一時間半の朝稽古が終わると、万太郎の下肢から力がすっかり失せているのでありました。今若し誰かに後ろから押されでもしたら、間違いなく万太郎は簡単に足を無様にもつれさせて転倒して仕舞うでありましょう。
「どうだったか、あゆみさんのしごきは?」
 道場から納戸兼内弟子控えの間に引き上げて来てから、良平が万太郎にニヤニヤ笑いをしながら訊くのでありました。
「いやあ、脚や腰の筋肉をあんなに使ったのは全く久しぶりでしたから、今は何だか脚が萎えたような感覚でいます」
「そうだろうな。ま、俺も最初はそうだったな。明日になったら筋肉痛で歩くのも辛くなるぜ。それは明日のお楽しみと云うところだ」
 良平がニヤニヤ笑いの濃度を上げるのでありました。「三時からの一般門下生の昼稽古前に内弟子と準内弟子の専門稽古が一時からあるから、それまでゆっくり休んでおけよ」
「内弟子稽古までに何か仕事はないのですか?」
「取り敢えず今日は何もない。もうすぐしたら昼飯を食うくらいだな」
 良平はそう云ってから立ち上がるのでありました。
「何か仕事があるのなら僕も手伝いますよ」
 万太郎が座った儘良平の顔を見上げて云うのでありました。脚に力が戻らず、実際、立つのも億劫なのでありました。
「昼飯の支度を手伝って来る。ま、初日だからお前さんは今日のところは免除と云う事で構わないや。呼びに来るまでここで休んでいろ」
 良平はそう云い残して納戸兼内弟子控えの間を出て行くのでありました。万太郎は兄弟子に労わられて申しわけなく思うのでありましたが、その気持ちの地階で、正直、それは助かったと安堵のため息を秘かに漏らすのでありました。
 初日の最初の稽古からこの調子では後が続くかしらと、万太郎は大いにたじろいでいるのでありました。迂闊に内弟子になんぞなった事を、彼は少し悔いるのでありました。

 花司馬筆頭教士の操る剣は、威治教士のそれに比べると慎に素直なのでありました。組形稽古の本義を守り、原則を決して踏み外すような事はなく、そう云う意味では気持ちの良い稽古が出来る相手なのでありました。
 威治教士のように万太郎に不意打ちを食らわして、自分の方が上位である事を反則気味に見せつけようとするような邪心が、その稽古態度からは微塵も見当たらないのでありました。さすがに興堂派道場の筆頭教士だけの事はあると、万太郎は生意気な事を考えるのでありましたが、勿論そんな態度も顔色も表わさないのでありました。
(続)
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