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お前の番だ! 53 [お前の番だ! 2 創作]

 しかし是路総士の指示とあらば従うしかないのでありました。万太郎は是路総士と自分の木刀を抱えて、道場に足取り重く向かうのでありました。
「おい、折野君」
 万太郎の後ろから一緒に道場に向かう、板場、と云う名前の興堂派の門弟が声をかけるのでありました。万太郎は「押忍」と返事してふり返るのでありました。

 是路総士がお茶を持ってきた廊下のあゆみに手招きをするのでありました。あゆみは茶碗を二つ乗せた盆を取ると静々と控えの間に入るのでありました。
「こちらは今度ウチの内弟子になる、折野君と云う人だ」
 是路総士が座卓の横に来たあゆみに万太郎を紹介するのでありました。
「折野万太郎です。先程の稽古ではご指導有難うございました」
 万太郎はあゆみの方に首を曲げてお辞儀するのでありました。
「ああどうも、是路あゆみです」
 内弟子に入る男であるから、あゆみはその男の前に差し出す茶をどのくらいの丁寧さで差し出すべきか、ちょっと逡巡するような素ぶりを見せるのでありました。このあゆみと云う人は、ひょっとしたら少々気の強い女性なのかも知れないと、万太郎はその逡巡の素ぶりを見て何の確たる根拠もなしにふと思ったりするのでありました。
「これはウチの娘でね、よちよち歩きの頃から常勝流を稽古しているが、まあ、未だ々々と云ったところかなあ。内周りの仕事も心得ているから、向後判らない事があったら色々訊くと良い。云ってみれば内弟子頭と云った立場になるかな」
「はい。よろしくお願いします」
 万太郎は少し後ろに躄って、体の向きを変えてあゆみに正対すると両手をついてお辞儀するのでありました。これでこの女性が是路総士の一人娘である事が確定であります。
「こちらこそよろしくお願いします」
 あゆみも丁寧な座礼を返すのでありましたが、稽古の時に後ろに束ねていた髪を解いているので、彼女の頭の上げ下げに少し遅れ気味に同調して長い髪が肩先に流れるのでありました。道場で見た礼の仕方よりは幾らかなよやかな印象であります。
 万太郎がまた元の位置に座り直して誓紙を書くためにモンブランの万年筆を手にしようとした時、あゆみが是路総士に向かって言葉を発するのでありました。
「あのう、あたしはこれからお習字の稽古に行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい。大岸先生によろしくな」
「判りました。では、・・・」
 あゆみは一度万太郎の方をその大きな瞳で見て、少し口を開いて何か云おうとしてそれを曖昧に止め、是路総士の方に向き直って座礼してから盆を取って立ち上がるのでありましたが、恐らく万太郎に対して、ごゆっくり、とか何とか云おうとして、内弟子になるためにやって来た男にそう云う愛想も不要かと思い直して口籠もったのでありましょう。万太郎はあゆみの了見をそう忖度して、そこはかとない親しみを覚えるのでありました。
(続)
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