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お前の番だ! 49 [お前の番だ! 2 創作]

 威治教士は立った儘頭をちょこんと前に倒すだけのお辞儀をするのでありましたが、それは上位者に示すべき礼容ではなかろうと、見ていた万太郎は不快に思うのでありました。興堂範士に対しては親子の狎れからそう云う無遠慮が許されたとしても、少なくとも是路総士に対しては限度を超えた非礼な態度と云わざるを得ないでありましょう。
 いや稽古着を身につけている以上、この場では親子と云う関係よりも、師弟と云う間柄の方が優先されるべきだと云う事は言を俟たないのでありますから、興堂範士に対しても不謹慎であると断じるべきであります。それにまた、興堂範士が自分の息子のこの不体裁を叱らないのは、これも大いなる不手際であると云うものではありませんか。
 是路総士の直門としての忠義心から万太郎は威治教士の是路総士に対する無礼に声を上げようかと一瞬思うのでありましたが、そうすれば唐突にこの場の和やかな空気は醜く棘立つでありましょうし、万太郎がここでそう云う態度をとる事を是路総士が果たして喜ぶでありましょうか。それに同門の、まあ云ってみれば従兄弟子たる威治教士に対して万太郎が糾弾の言を上げれば、これもまた弁えのない不敬な態度となるのでありましょうし。
 万太郎の苦そうな顔色を屹度目敏く見咎めたのでありましょう、興堂範士が立ち去ろうとする威治教士を呼び止めるのでありました。
「おい威治、ちょっと待て」
 威治教士は万太郎と二人の門弟の控えている廊下へ向けていた体を大儀そうに回して、興堂範士の方へ向き直るのでありました。
「え、何?」
「お前、総士先生にはちゃんと礼をしてから退室しろ」
「ん? ああそうか」
 威治教士はうっかりしていたと云うような様子で頭を掻きながらその場に正坐して、床の間を背に座っている是路総士の方に威儀を正して座礼するのでありました。それに対して是路総士は笑いながら頷いて見せるのでありました。
 頭を起こした威治教士は、また頭を掻きながらそそくさと立ち上がるのでありましたが、その仕草は如何にも愛嬌たっぷりと云った風情でありました。これは自分の不作法、いや寧ろ作法と云うものに対して端から意のないところを、愛嬌で以ってその場凌ぎに糊塗して見せようとする、ある種の抜け目ない所業であると万太郎は秘かに観るのでありました。
「どうも彼奴は迂闊者で、何時も苛々させられます」
 威治教士がこの場を去った後、興堂範士が是路総士に低頭するのでありました。迂闊と云うよりは横着と云うものであろうと、万太郎は眼球の更に奥で思うのでありました。
「いやいや、昔からあの子は無邪気な良い子ですよ」
 是路総士がそう返すのでありました。それは社交辞令以外ではなかろうと、万太郎は矢張り目よりも少し奥の方で思うのでありました。
「いや、あにさんにそう繕っていただくと、返って汗顔の至りですわ。ワシはどうも彼奴の教育をしくじったようだと、この頃何かにつけて感じていますわい」
 興堂範士が掌で自分の額を一つ叩くのでありました。
(続)
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