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お前の番だ! 45 [お前の番だ! 2 創作]

「ああそうなんですか」
 あゆみがもう一度万太郎を見るのでありましたが、内弟子としての入門と聞いて先程と同じに笑い顔ではあるものの、その目尻に漂わせていた愛嬌が少し減じているように万太郎には思われるのでありました。それは内弟子なる存在が一般の門下生とは少し違う、万事に些か峻厳なる立場にある事を仄めかせていると云う事でありましょうか。
「まあ、そう云うわけだから、今後ともこの男の教育をよろしく頼む」
 鳥枝範士が万太郎の肩を叩きながらあゆみに向かって云うのでありました。
「よろしくお願いいたします」
 万太郎も何となくはにかむような笑いを浮かべてあゆみにお辞儀して見せるのでありました。この女性が是路総士の一人娘である事はほぼ間違いないながら、完全なる断定は未だ出来かねるので、偶々専門稽古に参加している一般の門下生よりは少し意欲的な女性門下生に対するような心算で、殊更に丁重で厳格なお辞儀はしないのでありました。
「稽古止め!」
 鳥枝範士が二人の傍から離れながら道場中に響く大声でそう宣するのでありました。その声を聞いて門下生達が稽古を止めて急ぎ下座に横一列に整列するのでありました。
「その位置に正坐!」
 鳥枝範士は門下生に指示を与えてから、自分も稽古が始まる前に座っていた下座の端に移動して見所に向き直って、居並ぶ門下生より畳一枚前に威儀を正して正坐するのでありました。今まで畳を打つ音や「エイッ!」と云う気合いの発声に満ちていた道場が、咳の音一つだにない、極限まで緊張された弦のような静寂に包まれるのでありました。
 是路総士がその静寂の中でゆっくりと見所を降り、道場中央で皆と同じに神棚の方に向かって正坐するのでありました。
「神前に、礼!」
 鳥枝範士が号令すると一同が一斉に神棚に向かって無言で頭を下げるのでありました。神前への礼が終わった後、是路総士が膝行で神棚正面からやや外れた位置に移動して門下生の方へ向き直ると、鳥枝範士がまた大音声の号令をかけるのでありました。
「総士先生に、礼!」
 門下生一同は「押忍!」とこの時は発声するのでありました。座礼が済むと是路総士は徐に立ち上がって出入口の方に向かうのでありましたが、そこにはもう良平が畏まって片膝ついて引き戸に手を添えているのでありました。
 下座の門下生達は礼が済んだからと云って誰一人立ち上がる者はなく、正坐した儘引き戸の方に体を向けて両手を畳について是路総士の退場を見送るのでありました。道場から是路総の姿が消えると、門下生達は今度は下座の奥に座る鳥枝範士の下へ趨歩して、鳥枝範士を円座に取り囲むようにして各個に「押忍、有難うございました」と云いながら座礼するのでありましたが、鳥枝範士は一人々々に無言で礼を返すのでありました。
 それが済むと今度はその日相手をした者同士で礼を交わして、これでやっと稽古終了時の儀式が完了すると云った具合なのでありました。なかなか律義全うな事であります。
(続)
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