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お前の番だ! 44 [お前の番だ! 2 創作]

 万太郎が更衣を終えて急ぎ師範控えの間に戻ると、座敷には是路総士と興堂範士の他にもう一人、袴をつけない黒帯の若い男が興堂範士の横に座っているのでありました。それは興堂範士の息子で、興堂派の若先生と通称される道分威治教士の顔でありました。
 正坐はしているものの、はだけたと云う程の崩れはないにしろ、常勝流総士と同座するにしては少し稽古着の胸元のあわせ目が弛んだ着こなしで、居住まいも何となく畏まった容儀の感じられないものでありました。万太郎は前から親しみをあまり感じない威治教士を見て、不自然な感じではないよう気をつけながらすぐに目を逸らすのでありました。
 それから廊下に正坐して、座敷の中に居る、先ず是路総士に、次に興堂範士に、それからまあ、そこに居るから仕方がないので息子先生に対しても、殊更その緊張感を欠いた居住まいを当て擦る気はないのでありますが、しかし努めて端正に凛然と座礼をして見せるのでありました。礼の仕方が武道家らしくないと云っていじめられた良平の、それを話す時の眉根を寄せてげんなりした顔が万太郎の下げた頭の隅にちらと過ぎるのでありました。
 威治教士は廊下の万太郎を横目で見てから両目を少し細めるのでありましたが、これは嬉しくてそう云う目つきをしたわけではなくて、上位者同士が歓談している最中に俄に視界に現れた場違いの新参の白帯の付き人風情を見る時の、人を人として認めていない侮りに依拠した表情の変化である事は、無愛想に結んだ儘のその口元からも明らかなのでありました。威治教士は億劫そうに万太郎から目を逸らすのでありました。

 あゆみの指導で後方受け身を何本かやっている万太郎の傍に鳥枝範士がやって来て、丁度万太郎が起き上がったところへ声をかけるのでありました。
「どうだ、常勝流体術もなかなか面白いだろう?」
 面白いも何も技をやらせて貰ったわけではなく、構えとか正坐の仕方とか、継ぎ足歩み足、それに受け身とかばかりを稽古していた万太郎は、そう訊かれてもきっぱり面白いですと応ずるだけの確信に満ちた言葉は口から外に出ないのでありました。まあ確かに受け身なんかは今までやってきた剣術や剣道にはないもので、それなりの物珍しさはありはするのでありましたし、あゆみが見本に見せてくれる前方に飛躍して宙で回転しながらふわりと転がり着地する受け身等は、見ていて慎に美しい感嘆すべきものではありましたが。
「どうだい、この男の筋は?」
 鳥枝範士があゆみに訊くのでありました。
「なかなか呑みこみが早いと思います」
 あゆみが応えるのを聞きながら万太郎は何とはなしに嬉しくなるのでありました。
「ああそうかい。ワシが見こんだだけの事はあるか」
「入門された後は専門稽古にいらっしゃるのですか?」
 あゆみが万太郎の方に愛嬌のある笑い顔を向けるのでありました。
「いやいや、入門後は専門稽古にも一般稽古にも、内弟子稽古にも出る事になる」
 これは万太郎より先に鳥枝範士が云う言葉でありました。「なにせこの男は常勝流総本部道場の内弟子として入門する事になるんだからな」
(続)
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