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お前の番だ! 16 [お前の番だ! 1 創作]

 これが本身であったならあゆみの刀は刃毀れを起こしていたでありましょう。そう思うとあゆみは大いに悔しいのでありましたが、しかしその悔しさを目に表すと万太郎に気持ちの乱れを気づかれてつけこまれるであろうから、無表情を崩さないのでありました。
 万太郎の木刀の、強度としては弱いとされる鎬に自分の強いとされる刃を当てたのであるから、かろうじて面目は保てたのではないかしらと、あゆみは実は未だ気持ちの底の方で拘るのでありました。でもそうやって未練がましく何としても自尊心を取り繕おうとするのは、結局自分が今決定的な敗北感に陥って仕舞っているからじゃないかしら。・・・
 あゆみのこの心底の波騒ぎが彼女の無表情を微妙に崩すのでありました。万太郎にはあゆみの木刀の刃先が一瞬凝り竦んだように見えるのでありました。
 今だ、と万太郎は好機を感じ取るのでありました。しかし間髪を容れず得意の袈裟切りを敢行するのに彼は一瞬気後れを感じて、木刀を動かす機を逸したのでありました。
「それまで」
 脇から静かな声が聞こえるのでありました。あゆみと万太郎が同時にその声の方に顔を廻らすと、道場入口の引き戸の処に是路総士が立っているのでありました。
 今まで下座に正坐してあゆみと万太郎の、決闘と呼んでも差し支えないような剣の乱稽古を見ていた面能美良平が、慌てて立って是路総士の傍に趨歩して片膝ついて引き戸に手を添えるのでありました。それを待って是路総士は徐に道場に足を一歩踏み入れるのでありましたが、二歩目に是路総士は敷居に躓いて少し体を傾がせるのでありました。
 是路総士は神棚に一礼して見所に上がると、内弟子稽古の三人に手招きをするのでありました。三人は見所の前に横一列に正坐して是路総士に座礼するのでありました。
「今の乱稽古では折野の方に明らかに勝機があったのに、どうしてお前はその勝機を活かそうとはしなかったのか?」
 鳥枝総士は正坐して傍らにあった脇息を取るとそれを自分の前に据えて、そこに両肘をついてやや身を前に乗り出すような居住まいで、左端に座る万太郎に訊くのでありました。
「はい。いや、何と云うのか、ほんの少しつけ入る隙は見えたのですが、それは実はあゆみさんの誘いで、下手につけ入ったらそこを切り返されると拙いと、そんな事がチラと頭の中に過ぎったものですから、それで竟、機を逃して仕舞ったのです」
「ふうん、そうかい」
 是路総士は今度は真ん中にいるあゆみの方に視線を移すのでありました。「あゆみは自分の木刀の刃を折野の鎬に当てた事で少し取り乱したと見たが?」
 あゆみはもう一度見所の上の是路総士に向かって丁寧なお辞儀をするのでありました。
「ご指摘の通りです。その前に折野があたしの正面切りを綺麗に木刀を捌いて躱したので、その捌きの綺麗さに比べて、自分の躱しの無骨さに後れを取ったと感じたのです」
「あゆみは勝負の途中であるのに、それとは直接関係のない剣捌きの体裁、と云う側面に拘ったから隙を作ったと云うわけだな。それは勝負に勝つ事を磨くための乱稽古の本意からすれば、些か甘い了見と云われても仕方がないな」
 こう云われてあゆみはもう一度畏れ入るように是路総士に頭を下げるのでありました。
(続)
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