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お前の番だ! 3 [お前の番だ! 1 創作]

 鳥枝範士はすぐに万太郎の肘を片方の手で突き上げ、一歩膝行しながらすぐに丸く返して切り下げ、万太郎を畳に俯せに制圧するのでありました。その後鳥枝範士は徐に万太郎の腕を畳に下ろして、その肘に重心の乗った圧迫を加えるのでありました。
 その圧迫の強さに万太郎の腕は肘から拉げそうでありました。万太郎は慌ててもう片方の手で畳を打って、参ったと云うサインを鳥枝範士に送るのでありましたが、上肢が痺れて力が殆ど入らない万太郎は、こうして簡単に鳥枝範士に制圧されるのでありました。
 しかし鳥枝範士が圧迫を緩めると万太郎の肘の痛みが風に攫っていかれたように、即座に消え失せるのでありました。何時もながら不思議な感覚であります。
「さあてこれを、各自、止め、の号令がかかるまで只管繰り返せ」
 鳥枝範士が凄みを利かせた声で厳めしく下座に居並ぶ門下生に命じるのでありました。門下生達は「押忍!」と発声して一斉に一礼すると、きびきびとした動作で適当な相手を見つけて道場一杯に広がり、この後夫々、「止め」の号令がかかるまで、座取りの腕一本抑え表技、の稽古を相手と代わり番こに休みなく黙々と繰り返すのであります。
 万太郎は二か月先輩で同じ内弟子の面能美良平と組んで一般の門下生に交じって、矢張りこの技を只管反復するのでありました。お互い未だ白帯を締めている五か月と三か月の初心者同士ではあるものの、そこは内弟子として一般の門下生よりは一日の稽古量が五倍くらいあるものだから、彼ら二人の稽古は他に比べるとスピードもあり、また滑らかでもあり、技の鋭利さも仄見えていて、迫力と云う点では抜きん出ているのでありました。
 白帯同士で組んだ或る組はゆっくりと、黒帯同士の或る組はなかなか素早く手際良く、白帯と黒帯が組んだ組は黒が白に要所々々の細かい技術を指南しながら、夫々の組が夫々のペースで技をかけあっている中を、鳥枝範士は潜り回りながら門下生達に指導の声をかけるのであります。時に聞こえる鳥枝範士の指導の言葉と、その指導に謝意を表す門下生の「押忍」の声と、手刀を打ちこむ時の「エイ!」と云う気合の入った発声と、技が完了して参った時の合図に畳を叩く音が、入り乱れて道場に響き続けているのでありました。
 常勝流武道の精緻な技の数々に一見で魅了されて即座に入門を決め、その技を日々の稽古の厳かさに依って少しずつでも身につけていると云う喜びが、万太郎をして誰よりも熱心に稽古に打ちこませるのでありました。それは一切の世事を忘れて只管技の反復に全力を傾注する、行、としての稽古の単純明快さが、彼の生まれついての性質と相性が良かったためでもありましょうし、内弟子としての厳しい規戒や煩わしい日々の仕事やら、鳥枝範士の人使いの荒さやらに閉口しつつも、それを超える充実感がある故でもありましょう。

 折野万太郎が最初にこの常勝流武道総本部道場を訪うたのは四か月前の十二月でありました。大学四年生であった万太郎は就職のための九月からの会社訪問解禁日以来、幾つかの企業を回ってはいるものの捗々しい向う様の反応が得られずにいるのでありました。
 中東からの石油供給量削減が「オイルショック」と呼ばれ、工業商品の生産量を激減させ物流を停滞させ、トイレットペーパーがなくなり、それまでの経済の成長が嘘のように鈍化したのであります。世には未曽有の不況の木枯らしが吹き荒れているのでありました。
(続)
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