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合気道の組形稽古について 5 [合気道の事など 2 雑文]

 組形稽古の蘊奥とは、仕手と受けが互いの力や意識を対抗的に作用させようとしないで、双方の同調的な関係性が綺麗に一つに纏まる、または纏まるように鍛錬しあう事であります。そう云う稽古を繰り返す事に依って、現象面で、無理のない、力を「争わない」或いは「競りあわない」ところの「気を和する合気道」の理合いが理解出来るのであります。
 また云うまでもない事ですが、合気道の技が如何なる構造を持っているのかを受けが深く理解して組形を稽古しないと稽古の実質が得られないのと同様に、当然仕手側も組形稽古に於いては、受けがそう云う認識の上で動いている(動いてくれている)と云う事を承知しておく必要があります。さもないと仕手は自分の合気道的力量を見誤って(往々にして高く見積もって)仕舞うと云う「幸せな勘違い」が発生する恐れがあるからであります。
 組形を鮮やかに演武すると云う事と、武道的に鮮やかに相手を制すると云う事は同じではないのであります。組形稽古は武道的に鮮やかに相手を制するための数ある稽古法の中の、受けの自由な反撃を排除して行うところの一稽古法たるに過ぎないのであります。組形の上手さが即その人の武道としての合気道の強さを保証しているとは、必ずしも限らないと云う冷静な認識を必ず心底に保持しておかなければ、自分の現状よりも更に合気道的な高みと強さを深化させようとする、切実さも真摯さも気概も持ち得ないでありましょう。

 さてもう少し具体的な技に於ける組形稽古を検証してみたいと思いますが、次は「片手持ち二ヶ条抑え(一)」或いは「片手取り二教(表)」と云われる技であります。
 この技は受けが相対した仕手の逆側の手首(例えば受けの右手で仕手の左手首)を持って引く場合の技となるのでありますが、勿論初動時の駆け引きを一旦脇に置いて組形稽古としてそのような前提を設けるのであります。「持たれたら負け」とは故塩田剛三先生がよく稽古中に仰っておられた言葉でありますし、仕手が先に優位的に誘導を仕かけて受けに手を持たせて引かせる、或いは持って引かざるを得なくさせると云う、これも「後の先」「先の先」と云う技の発動時の機微と云うものを一先ず考慮しないと云う事であります。
 受けは仕手の手首を持ったら自分の体を動かさずに腕の力を以って、繋がった腕を介して仕手の体を自分に近づけるような心算で引きます。即ち肩を軸として肘を曲げながら自分の脇後方に引くような力の出し方であります。これが技の端緒であります。
 第一挙動目で仕手はその受けの引く力に逆らわずに、と云うよりは、そう云う力を受けに出させるように、誘導的に腕を差し出すような要領で受けの引きを現出させます。仕手が受けの力に対抗的な力を作用させて引きあいが生じると、引こうとして引いている受けの方が優位でありますから、仕手の体が受けの企図通りに不利に嵌る事になります。故にあくまでも受けの引こうとする力と方向に抗わないようにします。但しその時、丸く腰を切りながら体ごと滑るように動いて、受けの引く腕側の斜め前位置に接近するように受けの力に便乗するのであります。仕手の体は受けに対して斜め前角度から正対しています。
 あくまで仕手は、優位に引いているのだと云う受けの意識を消去しないように動きます。受けは優位にある事を疑わないで引いているにも関わらす、しかし結果として現出した位置関係は、自分の優位ならざるものになっていると云う状態を生み出したいのであります。
(続)
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