もうじやのたわむれ 358 [もうじやのたわむれ 12 創作]
これは拙生を入れた棺に違いないとすぐに判るのでありました。棺に隙間なく満たされた菊花の匂いに、咽返るようでありました。頬や鼻の辺りがくすぐったいのは、屹度この棺の中を埋め尽くした菊の花弁が触れるからでありましょう。
拙生のいる狭い暗闇は、始終ガタガタと振動しているのでありました。その振動は、走る車の揺れが伝わってきているのだと推察出来るのでありました。つまり拙生の棺を乗せた霊柩車が、今正に街外れにある焼き場に向かっていると云う現状況なのでありましょう。
ところで、鼻腔をくすぐる花弁に刺激されて、拙生は堪えきれずに、不覚にも大きな嚏をして仕舞うのでありました。その拍子に、閻魔大王官の顔が頭をよぎるのでありました。
いきなり拙生の入っている棺が大きく揺れるのでありました。その時に、横になっていた拙生は頭頂部を、すぐ上に迫っている棺の壁に強かにぶつけるのでありました。
「痛えなどうも!」
拙生は思わず声を上げるのでありました。その拙生の声に呼応するかのように、振動がピタリと止まって、棺の中は急に静寂な気配に包まれるのでありました。
拙生のいる狭い暗闇の外で、何やら人の話し声がするのでありました。それから暫く経って、棺の蓋がゆるゆると横にずらされるのでありました。中を恐る々々覗きこむ顔が、逆光に黒々と迫るのでありました。紛れもなくそれはカカアの顔でありました。
拙生は棺の中からニヤリと笑って見せるのでありました。迫っていた顔が急に動かなくなり、その後にその黒々が、大音声の悲鳴を発しながら、今度は仰け反り遠のき、棺の縁から見えなくなるのでありました。屹度卒倒したのでありましょう。
その悲鳴にこちらもびっくりして、拙生は上体を跳ね起こすのでありました。拙生を覆っていた菊花が、拙生の起こした上体からバラバラと落ちるのでありました。
卒倒しているカカアを残して、運転手、葬儀屋の番頭、それに我が一人娘、二三の親類共が、一斉に何やらわけのわからない言葉を叫びながら、大袈裟な仕草で車から一斉に飛び去るのでありました。見ると、倒れたカカアは口から泡を吹いているのでありました。
暫くは何も起こらず、その儘静かな時が車の中で流れていたのは、車から退散した誰もに、落ち着きを取り戻す一定の時間が必要だったからでありましょう。卒倒したカカアをその儘にもしておれずに、拙生は棺桶から出るとカカアの傍に寄って、しっかりしろ、とか何とか声をかけながら、少々強めにその額を平手で引っぱたいたりするのでありました。
カカアはちっとも意識を取り戻さないのでありましたが、その内に車から逃げ去った連中が夫々の方向から、及び腰で車に近づいてくるのでありました。拙生がそちらを見ると、また全員、慌てて車から遠ざかるのでありましたが、何度かそう云う事をやっている内に、逃げ出さない勇気のあるヤツが一人現れるのでありました。日頃から豪胆を自慢している拙生の叔父であります。叔父は蒼白な間抜け面で車の窓越しに、どうしたのかと拙生に震える声をかけるのでありました。そう訊かれても、拙生としたら何と応えて良いのやら。
「ただ今帰りました」
「ああ、いや、お帰り」
叔父は無表情に、クールに、あっさり、そしてうっかり、そう返すのでありました。
(続)
拙生のいる狭い暗闇は、始終ガタガタと振動しているのでありました。その振動は、走る車の揺れが伝わってきているのだと推察出来るのでありました。つまり拙生の棺を乗せた霊柩車が、今正に街外れにある焼き場に向かっていると云う現状況なのでありましょう。
ところで、鼻腔をくすぐる花弁に刺激されて、拙生は堪えきれずに、不覚にも大きな嚏をして仕舞うのでありました。その拍子に、閻魔大王官の顔が頭をよぎるのでありました。
いきなり拙生の入っている棺が大きく揺れるのでありました。その時に、横になっていた拙生は頭頂部を、すぐ上に迫っている棺の壁に強かにぶつけるのでありました。
「痛えなどうも!」
拙生は思わず声を上げるのでありました。その拙生の声に呼応するかのように、振動がピタリと止まって、棺の中は急に静寂な気配に包まれるのでありました。
拙生のいる狭い暗闇の外で、何やら人の話し声がするのでありました。それから暫く経って、棺の蓋がゆるゆると横にずらされるのでありました。中を恐る々々覗きこむ顔が、逆光に黒々と迫るのでありました。紛れもなくそれはカカアの顔でありました。
拙生は棺の中からニヤリと笑って見せるのでありました。迫っていた顔が急に動かなくなり、その後にその黒々が、大音声の悲鳴を発しながら、今度は仰け反り遠のき、棺の縁から見えなくなるのでありました。屹度卒倒したのでありましょう。
その悲鳴にこちらもびっくりして、拙生は上体を跳ね起こすのでありました。拙生を覆っていた菊花が、拙生の起こした上体からバラバラと落ちるのでありました。
卒倒しているカカアを残して、運転手、葬儀屋の番頭、それに我が一人娘、二三の親類共が、一斉に何やらわけのわからない言葉を叫びながら、大袈裟な仕草で車から一斉に飛び去るのでありました。見ると、倒れたカカアは口から泡を吹いているのでありました。
暫くは何も起こらず、その儘静かな時が車の中で流れていたのは、車から退散した誰もに、落ち着きを取り戻す一定の時間が必要だったからでありましょう。卒倒したカカアをその儘にもしておれずに、拙生は棺桶から出るとカカアの傍に寄って、しっかりしろ、とか何とか声をかけながら、少々強めにその額を平手で引っぱたいたりするのでありました。
カカアはちっとも意識を取り戻さないのでありましたが、その内に車から逃げ去った連中が夫々の方向から、及び腰で車に近づいてくるのでありました。拙生がそちらを見ると、また全員、慌てて車から遠ざかるのでありましたが、何度かそう云う事をやっている内に、逃げ出さない勇気のあるヤツが一人現れるのでありました。日頃から豪胆を自慢している拙生の叔父であります。叔父は蒼白な間抜け面で車の窓越しに、どうしたのかと拙生に震える声をかけるのでありました。そう訊かれても、拙生としたら何と応えて良いのやら。
「ただ今帰りました」
「ああ、いや、お帰り」
叔父は無表情に、クールに、あっさり、そしてうっかり、そう返すのでありました。
(続)
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