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もうじやのたわむれ 346 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 車が動き出す時、大酒呑太郎氏と目があうのでありました。大酒呑太郎氏は判るか判らない程度に両目を細めて見せて、拙生に意味有り気なサインらしきを送るのでありました。拙生はその視線から、おどおどと目を逸らすのでありました。別に拙生がたじろぐ必要は何もないではないかと、視線を逸らした後で思うのでありましたが。・・・
 秘かに催眠術を使ったり、単なる無意味な悪戯心から、補佐官筆頭をそうとは気づかれないように嵌めてみたりと、大酒呑太郎氏と云う鬼は何とも食えない不気味な鬼であります。若し拙生が大酒呑太郎氏の誘惑を無視して娑婆に逆戻った場合、その後娑婆の方でちょっかいを出されて、とんでもない仕返しを食らう事になりはしないかと、その辺が大いに気がかりなところではあります。まあ、氏が大度且つ鷹揚で、執念深くない鬼柄である事を期待するのみであります。ところでこの、鬼柄、は娑婆で云うところの、人柄、が正解でありますが、これは敢えて云うまでもない事でありましょうか。(拙生、ピースサイン)
 娑婆交流協会のビルのあるさして大きくはない街を離れると、車はすぐに原生林の中を縫って走る未舗装の山道に分け入るのでありました。すれ違う車は一台だになく、曇天の薄暗さの中で、時々遠くから聞こえてくる飛鳥か何かの不気味な鳴声とか、原生林の中を吹き過ぎるおどろおどろし気な風音が、車中の拙生の気分を陰鬱にさせるのでありました。
「一雨きそうな具合ですなあ」
 補佐官筆頭が車窓の外を眺めながら、誰にともなく云うのでありました。
「この林の中の道を抜けると、もう十五分くらいで黄泉比良坂集落に着きます」
 亀屋技官がそんな、天候とは関係のない事を云い返すのでありました。この会話の齟齬が何となく車の中の空気を重苦しくさせるのでありました。その後はまた、膝の上に沈黙が泥むのでありました。車はなかなか、林の中の暗がりの道を抜けないのでありました。
 娑婆交流協会のあるビルを出て、どのくらいの時間が経っているのでありましょうか。拙生は自分の左手首に目を落とすのでありましたが、閻魔庁の宿泊施設を出る時に返却していたので、そこには腕時計はないのでありました。そんな拙生の様子を左横に座っている逸茂厳記氏が察して、自分の腕時計を見遣りながら拙生に話しかけるのでありました。
「娑婆交流協会を出て、もうぼちぼち一時間半くらい経ちますね」
「二時間程で黄泉比良坂集落に着きますかな」
 これは拙生の右横に座っている補佐官筆頭の言葉でありました。
「ああ、確かにそのくらいでしたかね」
 逸茂厳記氏が受けるのでありました。
「暗いのは道脇の木立の密集のせいで、雨は降らないでしょう」
 亀屋技官が再び、話しの流れとは無関係な事を云い出すのでありました。一亡者と三鬼の顔が、また元の無表情に戻るのでありました。
 暫くするとようやくに林の中を縫う道を抜けたものの、車の外は一向に明るくならないのでありました。これは時刻が夕方に差しかかったためでありましょう。その後十分程何かの畑の広がる中を走ると、古木材と藁で造られた如何にも粗末な家屋が、ポツリポツリと現れ始めるのでありましたが、そろそろ車は黄泉比良坂集落に入ったようであります。
(続)
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