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もうじやのたわむれ 344 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 大酒呑太郎氏は眉根を寄せて、拙生に書状をポケットに早く仕舞えと指示するような仕草をして見せるのでありました。その時、部屋のドアノブを回す音が聞こえるのでありました。拙生は大酒呑太郎氏の秘かな算段に乗ったわけではないのでありましたが、何となく弾みで、書状を上着の内ポケットに慌てて仕舞うのでありました。
 書状が拙生のポケットに隠れ終わるタイミングで、寝ていた逸茂厳記氏が目を開いて、欠伸と伸びをしながら椅子の背凭れから上体を起こすのでありました。その直後に部屋のドアが開いて、補佐官筆頭と発羅津玄喜氏が部屋の中に入ってくるのでありました。
「おや、未だここにいらしたので?」
 補佐官筆頭が大酒呑太郎氏に、そんな無愛想な声をかけるのでありました。大酒呑太郎氏は補佐官筆頭に苦笑いを返しながら立ち上がるのでありました。
「私は補佐官さんに相当に嫌われたようですな。とんと心当たりはないのですがねえ。ま、しかし、それ程私をお嫌いとあらば、私はここから早々に消えた方が無難ですかな」
 大酒呑太郎氏は拙生に意趣の籠った流し目をちらと送って、それから何食わぬ顔をして、補佐官筆頭に向かって人を食ったように、いや違った、鬼を食ったように笑顔を向けて片手を挙げて見せながら、鷹揚な様子であっさり部屋を出て行くのでありました。
「何か大酒さんに云われたのですかな?」
 補佐官筆頭が拙生の顔を凝視するのでありました。
「いや、特には何も、・・・」
 拙生の方には一分の後ろめたさもないと思われるのに、その意に反して拙生はたじろぎながら返すのでありました。動揺する必要等は拙生には何もない筈であります。拙生は大酒呑太郎氏の秘かな誘惑に、乗ると決めたわけでは全くないのでありますから。寧ろそんな不埒な誘いなんぞよりも、娑婆に逆戻る方に未だ、九対一、いやいや、九十九対一の割合で重心がどっしりと乗っているのでありますから。それに補佐官筆頭に、これこれこう云う怪しからぬ誘惑が大酒呑太郎氏からあったと、報告しても別に良いのであります。その方が、亡者である拙生のとるべき、閻魔庁への義理の立つ道と云うものでありましょう。
 しかし早々に娑婆に逆戻りたい拙生としては、ここで態々事を荒立てて、前途が拗れて面倒になるのに気後れしたのでありました。ここは余計な波風を迂闊にあれこれ立てないで、なるべく穏便に、無難に、スムーズに娑婆に逆戻るのが専一であります。ポケットの中の書状は、誰にも黙ってその儘、向こうの世まで持って行けば良いだけであります。
「何か先程までと違って、亡者様の表情に強張りがあるように思いますが」
 補佐官筆頭が怪訝そうに首を傾げて拙生の顔を観察するのでありました。
「いや何、先程の大酒さんの補佐官さんに対する白っトボけぶりが、余りに堂々としていらしたので、ちょっと唖然として仕舞って、それで顔が固まったのですかな」
「ああそうですか」
 補佐官筆頭は未だ怪訝そうでありましたが、部屋には拙生と大酒呑太郎氏の他に逸茂厳記氏も一緒にいたのであるから、何か妙なちょっかいを大酒氏が拙生に出す事は出来なかったであろうと測算したようであります。逸茂厳記氏は眠らされていたとも知らずに。
(続)
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