SSブログ

もうじやのたわむれ 264 [もうじやのたわむれ 9 創作]

 まあそれは下で指示されるだろうと考えて、拙生は忘れ物がないか一通り部屋の中を見回して廊下に出るのでありました。部屋のキーがついたアクリル製のキーホルダーを握って、拙生はキーをぐるぐる回しながら廊下を歩いて、エレベーターホールの方に向かうのでありました。来た時と同様、廊下では誰ともすれ違ったりしないのでありました。下のカフェテリア辺りの混み具合からしても、屹度多くの亡者が宿泊しているであろうと思われるのに、宿泊の部屋がある上階ではどうして亡者の誰とも逢わないのでありましょうや。
 下に降りると拙生は先ず、フロントに寄る前にコンシェルジュのデスクの方に向かうのでありました。コンシェルジュは、片手を挙げて軽く挨拶する拙生を認めると、親愛に満ちた笑みを浮かべて立ち上がって、深々とお辞儀をするのでありました。
「いよいよ今日が、生まれ変わり地を決定する閻魔大王官の最終審理ですね」
 コンシェルジュは娑婆のアイビーファッション風の、三つボタンの紺のブレザーを纏った上体を、完全に起き上がらせない畏まった物腰で拙生にそう云うのでありました。
「ええそうです」
「何やら緊張されておられますか?」
「いやあ、もう私の気持ちはとっくに決まっていたから、意外とリラックスしていますよ。寧ろ審理後のこちらの世への生まれ変わりが今から楽しみです」
「ああそうですか。それはそれは」
 コンシェルジュはそう云って、揉み手をしながら愛想笑うのでありました。
「いやこの三日間、色々お世話になりました。懇切丁寧にあれこれアドバイスやら手配を頂いて、大変助かりました。お蔭さまで有意義で楽しい三日間を堪能させて貰いました」
「いえとんでもない。ご満足頂けたようなら、私の方こそ幸いです」
「また何か機会がありましたら宜しくお願い、・・・。いや、またお世話になるような機会なんぞ、あるわけがありませんか」
 拙生はそう云って笑って頭を掻くのでありました。
「そうですね。まあ、万々が一、何か考えもつかない事情で、またお世話させて頂く事もないこともないかも知れませんが、普通はこれにてもうお目にかかる事はないでしょう」
 コンシェルジュが何やら、ちょいと気になるような事を云うのでありました。
「ほう。その万々が一の事情、と云うのは、例えばどう云った事でしょう?」
「いやいや、そんなに拘りになられると私も困るのですが、まあ、私の前言はさらっとした冗談だとお受け取りください」
「さらっとした冗談、ねえ。・・・」
 妙に気になる云い草でありますが、しかしまあ、単に礼が云いたくて声をかけただけの事で、ここでコンシェルジュと長話しする気は元々なかったのだから、拙生はこれ以上は食い下がらないのでありました。若し覚えていたら後で閻魔大王官に聞けば済むのですし。
「散歩先とか観光地でお買い求めになったお土産等、お忘れ物はありませんでしょうか?」
「いや、別に買い物は何もしませんでしたから。それに亡者の時に買い物しても、それを抱えて新しいお母さんの胎内から、オギャアと生まれてくる事は出来ないでしょうし」
(続)
nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。