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もうじやのたわむれ 218 [もうじやのたわむれ 8 創作]

 拙生はほんの少し白けて仕舞って、テレビのチャンネルを別のものに切り替えるのでありました。今度は寄席の高座と思しき舞台が映し出されて、座布団に正座した和服の男が扇子をふりまわしながら、声を張り上げて俗曲を唄っている画面が現れるのでありました。これはどうやら間違いなく、落語を演じている光景であります。しかも、烏がパッと出りゃコリャサのサーア、なんと云う唄の文句からして、多分『野晒し』に違いありません。
 向こうの世の噺がその儘こちらでも受け継がれているだろう事は、これまでの審問官や記録官との遣り取りや、審理室での補佐官筆頭の作った俳句の話しの中での、元閻魔庁職員だった大酒呑太郎氏から補佐官筆頭がおちょくられた顛末、それに賀亜土万蔵氏なんかとの会話中にちょこちょこ出る冗談等から、大凡推量はしていたのでありました。向こうの世で落語家だった人間がこちらでも落語をやるのであるなら、しかも向こうの世での出来事や自分の事跡の記憶はこちらでも蘇るわけであるなら、自ずと同じ噺がこちらでも演じられる事になるのでありましょう。ま、当たり前と云えば当たり前の話しであります。
 落語家は全然見覚えのない面相をしているのでありました。まあ、このテレビに映っている噺家が向こうの世で活躍した噺家であったのだとしても、こちらで全く新たに生まれ変わって噺家となった霊でありますから、面相も声も、向こうの世での風情とはすっかり違っていて当然でありましょう。時々画面に入る傍らのめくりに書いてある演者名を見ると、三遊亭円朝、としてあります。これはまた何とも大きな名前をつけたものであります。
 しかし考えてみたら、この落語家がその名前を堂々と名乗っていると云う事は、ひょっとしたら娑婆でその名前で活躍した、初代橘屋円太郎の長男で、自作の怪談噺で後に名を残した、江戸時代の三遊亭円朝の生まれ変わりだと考える事も、出来なくはないのであります。まあ、娑婆の三遊亭円朝師匠がこちらの世に来て百十余年でありますから、このテレビに出ている落語家の、ようやく若手を卒業した辺りのその歳恰好からしても、そうである可能性は充分と云えるありましょうかな。それに今やっている『野晒し』と云う噺にしても、ま、怪談噺に分類出来ない事はない噺、と云えばそう云えるでありましょうから。
 この三遊亭円朝師匠の噺の後には、今売出し中の若手漫才のホープ、と云うアナウンサーの紹介が入って、スーツ姿の漫才コンビが拍手に迎えられて、派手々々しく登場するのでありました。コンビ名は、中田ダイマル・ラケット、だそうであります。これまた、何とも懐かしい名前が出てきたものであります。しかし拙生が娑婆で見た漫才の中田ダイマル・ラケットさんとは、勿論風貌はまるで違うのでありました。尤も拙生は、師匠達がもう円熟期に達した辺りから、その晩年の頃のお姿しか知ってはいないのでありましたが。
 あんまり今日の内にテレビでこちらの世のお笑いを堪能して仕舞っては、明日せっかく六道辻亭に行く楽しみが半減して仕舞うかもしれません。そう考えて拙生はまたチャンネルを替えるのでありました。今度はクラシック音楽の演奏中継番組でありました。
 バイオリンやチェロ等の楽器は、娑婆のそれと全く同じなのでありました。チャンネルを替えた時、丁度何やらの交響曲が終わったところのようで、客席の歓声と拍手に舞台上の総ての演奏家が立ち上がって応えているところでありました。その後場面が一転して、大きなパイプオルガンとその前に座る燕尾服の演奏家が映し出されるのでありました。
(続)
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