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もうじやのたわむれ 195 [もうじやのたわむれ 7 創作]

「どうぞご堪能しておくんねえな!」
 先程の若い板前と同じ語勢でこの年嵩の方も云うのでありました。
「貴方も信州佐久の、昔江戸と云われていた東京からいらした板前さんで?」
「いや、あっしは信州佐久の、昔浪速と云われていた大阪から来たんでさあ」
「大阪の方ですか?」
「へ、そうでおま」
 板前は急に娑婆の大阪弁風の言葉つきになるのでありました。
「しかし言葉が江戸っ子調でしたよね、先程までは?」
「そうでんなあ。最初大阪で料理人になったんでおますが、すぐに東京の方に、包丁一本晒しに巻いて板場の修業に出たんでおます。東京での修行が長かったさかい、調理場では江戸っ子口調になって仕舞うたんですわ。そやけど私生活ではベタベタの大阪弁でっせ」
「ああ、そう云う事情ですか」
 拙生は心の中でこの板前の話しも、どんなに胡散臭くても其の儘、聞くが儘在るが儘に受け入れなければならんぞと、自分に秘かに云い聞かせるのでありました。
「お前達、何話してるあるか?」
 中国風の装いの料理夫が、家鴨を丸々油で揚げたものを皿に載せて表れるのでありました。「へい、北京ダック、お待ちあるよ」
「ああこれはどうも」
「ワタシの弟子の若い衆が後でテーブルまで行って、皮を削いだり削いだ皮を包んだりして、食べやすいようにしてあげるあるよ」
「それはお手間をおかけします」
「なあに、別に礼はいらないあるよ。そこまでがこの料理のサービスあるね」
 中国人風の料理夫が掌を顔の前でひらひらさせて愛想笑うのでありました。
「そんな湯気の上がっている油臭え料理なんぞを、俺の持ってきた刺し身の横なんかに置かねえでもらいてえもんだな」
 和装の板前が中国風の料理夫に、江戸っ子言葉の方で文句を云うのでありました。
「何云っているあるか。カウンターのこの場所は貴方の占有スペースではないではないか」
「おっとどっこい、テメエこそ何をいいやがる。俺が先に刺し身をここに置いたんだから、その丸揚げなんかは、熱が移らないように少しは気を遣って、離して置きやがれってんだ!」
「ワタシの料理をこのカウンターの上の何処に置こうが、ワタシの勝手あるよ。気に入らないなら、自分でその刺し身を離れたところにずらせばよいあるね」
「いいか、俺が先にカウンターのここに刺し身を持って来たんだから、後のテメエの方が気を遣って、その暑苦しい料理なんぞは離れたところに置くのが、料理に生きる同士の礼儀ってもんじゃねえか、この無神経の間抜けの鈍感野郎のすっとこどっこい!」
「お、その悪態、許せないあるね!」
 和装の板前と中国人風の料理夫が、カウンターの拙生の前の料理を置く場所をめぐって、領有権争いをおっ始めるのでありました。
(続)
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