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もうじやのたわむれ 193 [もうじやのたわむれ 7 創作]

「では、その鰤と石鯛の刺し身を両方ともください」
「へい、がってん承知しやした!」
 年嵩の板前も手を一つ打って、奥の大きな生簀へ行って鰤と石鯛を網で掬うと、先程の若い板前の横の俎板の上で、並んで拙生に背中を向けて調理を始めるのでありました。
「北京ダックとか、要らないあるか?」
 娑婆の中国風の、と云っても清朝時代風の、でありますが、装いをした別の料理夫が拙生に声をかけるのでありました。見ると彼は拙生の方に差し出した掌を空中で揉むような仕草をして、その後唐突にその中からチューリップの花を一本出現させるのでありました。
「おお、鮮やかなマジックですね」
 この手品は彼の拙生に対する一種のお愛想でありましょうか。
「種仕かけ、一杯ある」
「北京ダックですか?」
「とても美味あるよ」
「では一人前お願いしますかな」
「がってん承知したあるよ。ぼちぼちやるよ」
 中国風の装いの料理夫はゆっくり奥の自分の調理台の方に去るのでありました。
「ドチャメンテゴチャメンテ」
 今度は大柄で典型的な娑婆のイタリア人風のコックが声をかけるのでありました。
「何ですか?」
「スパゲティナポリターナゴンドーラスイスイ」
「はい?」
「トルナラバトーレトルナラトッテミーヨ」
 昔テレビのコマーシャルか何かで聞いたような科白であります。「ところで、焼き立てのピザなんか、食べてみたくはあーりましぇーんか?」
 これは西洋人が少し巻き舌で、日本人に片言の日本語で話しかけている風を、日本人が無理矢理大袈裟に演じているような按配の、如何にも胡散臭い口調であります。
「おお、ピザですか。そう云えば娑婆にいる時から数えても、十年以上もそんなものを食した事がなかったですなあ」
「私の焼くピザ、美味しいあるよ」
 コックの口調が、何故か急に中国人みたいな感じになるのでありました。
「では遠慮なく、久しぶりに食べてみましょうかな」
「そうするあるよ」
「どうでも良いですが、イタリア人ぽいのか中国人ぽいのか判らなくなりましたなあ」
「ああ、これは粗忽でありまーした。隣で仕事している中国料理のシェフに、竟々無意識裡の内に影響されたのでありまーす。吾輩とした事が、実にどうも慙愧に堪えましぇーん」
 別に構わないのですが、粗忽とか、実にどうもとか、無意識裡とか、吾輩とか、慙愧に堪えない等とは、娑婆の日本人もそう滅多に口走らない言葉だと思うのでありました。
(続)
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