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もうじやのたわむれ 188 [もうじやのたわむれ 7 創作]

 そう云えばコーヒーは娑婆時代以上に飲んだものの、今日は食事を一度もしていなかったなと拙生は急に思い当るのでありました。しかし空腹は全く感じないのでありました。
 まあ、拙生の今の体てえものは、こちらの世に生まれ変わるまでの閻魔大王官の審理期間中の仮の身でありますから、ちゃんとした人間の、いや霊の身体機能は備えていないのであります。因って空腹と云う、生命維持に不可欠の欲求も生じないのであります。
 しかしそんな体であるにしろ食事は出来ると云う事でありますから、寝るまでの暇潰しにロビーに降りて、黄泉路と云う名前のカフェテリアで何か名物料理でも食って来ようかなと考えるのでありました。確かカフェテリアは、夜間は食事の出来るバーラウンジの体裁で営業していると、下でコーヒーカップを下げにきた女性が云っていたはずであります。
 朝食はビュッフェスタイルだと云う事ですから、屹度混雑していて、落ち着いてご馳走を賞味すると云う雰囲気ではないでありましょう。それにこちら独特の名物料理が若し出ているとしても、然程の豪華版は期待出来ないかも知れません。そうなると今夜の内に、とびっきりゴージャスなディナーとして、それを食してみると云うのも魅力的な事のように思えるのであります。それに料理は無料だと閻魔大王官が云っていたのでありますし。
 そう思って横に置いていた上着を取って袖を通そうとするのでありましたが、拙生は何やら急に、これからロビーまで降りていくのが億劫に思えてくるのでありました。別に体が疲れているわけではなさそうでありますが、この億劫さはどうした事でありましょうや。
 第一拙生のこの今の体てえものに、疲れなんと云う感覚が起こるのでありましょうか。人体としての、いや霊体としての物質代謝機能がないのでありますから、食事も摂る必要がないし、だから序でに云うと、恐らく排泄の心配も不要なはずであります。
 拙生の今のこの体の活動エネルギーは、そう云った生命体としての営みの埒の外で生成されていると云う事であります。そのエネルギーは、若しこの拙生の体が幽霊みたいなものと仮定するなら、まあ、レトリック風に云えばでありますが、怨念とか不満とか憎しみとか云う非身体的な営為が、その活動エネルギーの源泉だと云う事にでもなりますかな。いや勿論、拙生には取り立てての怨念も不満も憎しみも一切ないのでありますが、ま、つまり要するに、幽霊には物質代謝と云う現象に依拠する活動エネルギーの生成と云う仕組みは不要だ、と云う事を云いたいわけであります。ですから食事が不要なわけであります。
 では拙生のこの今の体の活動エネルギーは、どの様な仕組みに依って生成されているのでありましょうや。・・・いやまあ、こんな埒も明かない事を拙生が今、ウダウダと考えてみても無意味ですかな。どうせ数日の後には、この拙生の今の仮の姿は綺麗に消えてなくなって、こちらの世に新たな霊として生まれ変わって仕舞うのでありますから。ま、兎に角、拙生はどうしたものかこの部屋から出るのが急に億劫になったと云う事であります。
 そう云えば頼めば部屋まで料理を運んで貰えると、閻魔大王官が云っていたのでありましたから、フロントの方に電話を一本入れれば、この部屋の中でゴージャスな名物料理を堪能する事も出来ると云う事であります。その方が手っ取り早いわいと、無精な拙生はベッドのサイドテーブルの上に載っている電話機の処まで立とうとするのでありましたが、どうしたものやら、そのほんのちょっとの移動すらも大儀に思えて仕舞うのでありました。
(続)
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