もうじやのたわむれ 186 [もうじやのたわむれ 7 創作]
鵜方氏はそう云って自分の冗談に自分で笑うのでありました。
「貴方がこちらの世で、幸福な霊として生まれ変わられる事をお祈りいたします」
拙生は云いながら握手の掌を差し出すのでありました。
「有難うございます。貴方の方も。では、色んな意味で、お先に失礼」
鵜方氏は拙生の掌を固く握るのでありました。その後徐に握手を解いて、その手を上げて横にゆっくり低振幅に何度かふって、サヨナラの仕草をするのでありました。拙生も同じように手をふりながら浅いお辞儀をするのでありました。
「我々は閻魔大王官の審理中の身の上ですので、生まれ変わった後にはこの間の事は、お互い何も覚えてはいないのでしょうけど、しかしまあ、一応挨拶として云いますが、若しご近所に生まれ変わった折は、どうぞご厚誼を宜しくお願いいたします」
「こちらこそ」
鵜方氏は下げた頭を起こした後、笑いながら一度大きく手をふってから、拙生に背中を向けるのでありました。鵜方氏がエレベーターホールの方に歩き去る姿を、拙生は立った儘、その影が消えるまでずっと見送っているのでありました。
さて、拙生も部屋に引き揚げようとしていると、先程コーヒーをここへ運んできた女性が現れるのでありました。
「カップをお下げしても宜しいでしょうか?」
「ええ、構いません」
拙生が云うと女性は深くお辞儀をして、膝を斜め前方にやや折って身を低くして、可憐かつ楚々とした仕草で、空になったコーヒーカップを片手の銀盆に載せるのでありました。
「明朝コンシェルジュは、何時からあそこに座っているのですかな?」
拙生がそう訊くと女性は膝を伸ばして、愛嬌のある笑い顔を返すのでありました。
「朝六時には参っております」
「ああそうですか。随分早起きのコンシェルジュですね。それから明日の朝食は何処で摂ればいいのでしょうかな?」
「朝食をお摂りになるのでしたら、エレベーターホール横に、黄泉路、と云う名前のカフェテリアがございます。そこにビュッフェスタイルの朝食を用意させて頂いております。朝七時から十時が朝食時間でございます。夜は食事も出来るバーラウンジとなります」
「そこは別に予約とか関係なく、ふらっと入っても構わないですか?」
「はい、結構でございます」
「判りました。有難う」
女性は「どういたしまして」と云いながら深いお辞儀をするのでありました。
拙生が徐に歩き出すと、後ろから「おやすみなさいませ」と件の女性の声がするのでありました。その後彼女は拙生の姿が見えなくなるまで、そこに立ってお見送りをしてくれているのでありました。フロントの前を通れば、中の係員が夫々に拙生に向かって律義なお辞儀をするのでありました。なんと従業員の躾けが行き届いた宿泊施設でありましょうか。娑婆にもこれ程客の気分をよくしてくれるホテルは、ざらにないでありましょう。
(続)
「貴方がこちらの世で、幸福な霊として生まれ変わられる事をお祈りいたします」
拙生は云いながら握手の掌を差し出すのでありました。
「有難うございます。貴方の方も。では、色んな意味で、お先に失礼」
鵜方氏は拙生の掌を固く握るのでありました。その後徐に握手を解いて、その手を上げて横にゆっくり低振幅に何度かふって、サヨナラの仕草をするのでありました。拙生も同じように手をふりながら浅いお辞儀をするのでありました。
「我々は閻魔大王官の審理中の身の上ですので、生まれ変わった後にはこの間の事は、お互い何も覚えてはいないのでしょうけど、しかしまあ、一応挨拶として云いますが、若しご近所に生まれ変わった折は、どうぞご厚誼を宜しくお願いいたします」
「こちらこそ」
鵜方氏は下げた頭を起こした後、笑いながら一度大きく手をふってから、拙生に背中を向けるのでありました。鵜方氏がエレベーターホールの方に歩き去る姿を、拙生は立った儘、その影が消えるまでずっと見送っているのでありました。
さて、拙生も部屋に引き揚げようとしていると、先程コーヒーをここへ運んできた女性が現れるのでありました。
「カップをお下げしても宜しいでしょうか?」
「ええ、構いません」
拙生が云うと女性は深くお辞儀をして、膝を斜め前方にやや折って身を低くして、可憐かつ楚々とした仕草で、空になったコーヒーカップを片手の銀盆に載せるのでありました。
「明朝コンシェルジュは、何時からあそこに座っているのですかな?」
拙生がそう訊くと女性は膝を伸ばして、愛嬌のある笑い顔を返すのでありました。
「朝六時には参っております」
「ああそうですか。随分早起きのコンシェルジュですね。それから明日の朝食は何処で摂ればいいのでしょうかな?」
「朝食をお摂りになるのでしたら、エレベーターホール横に、黄泉路、と云う名前のカフェテリアがございます。そこにビュッフェスタイルの朝食を用意させて頂いております。朝七時から十時が朝食時間でございます。夜は食事も出来るバーラウンジとなります」
「そこは別に予約とか関係なく、ふらっと入っても構わないですか?」
「はい、結構でございます」
「判りました。有難う」
女性は「どういたしまして」と云いながら深いお辞儀をするのでありました。
拙生が徐に歩き出すと、後ろから「おやすみなさいませ」と件の女性の声がするのでありました。その後彼女は拙生の姿が見えなくなるまで、そこに立ってお見送りをしてくれているのでありました。フロントの前を通れば、中の係員が夫々に拙生に向かって律義なお辞儀をするのでありました。なんと従業員の躾けが行き届いた宿泊施設でありましょうか。娑婆にもこれ程客の気分をよくしてくれるホテルは、ざらにないでありましょう。
(続)
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