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もうじやのたわむれ 161 [もうじやのたわむれ 6 創作]

 当然、店の中にいる他の客には、誰も相手がいないのにこの店員の鬼が一人芝居、いや一鬼芝居を演じているように見えているのでありましょう。しかしその光景にも客達は全く無関心なのでありました。娑婆なら不気味で近寄りたくない光景に違いないのでありますが、しかしこちらでは屹度、普通によくある事なのでありましょう。
 拙生等が案内されたのは店の最奥にある、衝立で仕切られた一画の席でありました。どうやら我々の姿が見えない他の一般霊と混ざって席を取るのは、何かと問題があるのでありましょう。店員の鬼は立ち止まると、席を掌で示してやや上体を屈めるのでありました。
 拙生と鵜方氏が向かいあって座ると、店員の鬼は一旦席を離れ、それから間を置かず水の入ったコップを銀盆に二つ載せて戻って来るのでありました。
「私はコーヒーを」
 拙生が先に注文するのでありました。
「私の方は紅茶で」
 鵜方氏が後に続けて店員の鬼に云うのでありました。
「紅茶がお好きなので?」
 店員の鬼が去った後に拙生は鵜方氏に訊くのでありました。
「いや、コーヒーの方が好きだったのですが、或る日突然豆アレルギーを発症いたしまして、あちらこちら痒くなるのが怖いので、コーヒーはそれ以来断っております」
「ああそうですか。私も豆アレルギーなのですが、偶に呑むコーヒーくらいは平気です」
「いやまあしかし、ですね」
 鵜方氏は上着を脱ぎながら云うのでありました。「豆アレルギーを持った体はもう、向こうの世で焼却されて仕舞っておりますから、今のこの私のこちらの世に生まれ変わるまでの仮の姿たるこの体には、コーヒーも大丈夫かも知れないと、さっき紅茶を注文した直後にそう考えたのですがね、しかし面倒だから態々訂正もしませんでしたがね」
「大体コーヒーは、豆とは云いますが、あれは実際は果実でしょう」
「そうですよね」
 鵜方氏が頷くのでありました。「しかし、確かにアレルギー反応が出ます」
「こちらの世に生まれ変わった暁には、そう云うアレルギーは勘弁して欲しいですよね。こちらではタラジル産のカスジルなんと云う、いや、カスジル産のタラジルだったかな、まあ、どっちだったかはもう忘れて仕舞いましたが、そう云う美味いコーヒーがあると聞きましたし、実際そのインスタント・コーヒーを審問室で飲ませて貰いましたら確かに美味かったので、生涯そう云うものをたらふく賞味出来る体に生まれ変わりたいですよね」
「私の方は他にも色々美味い食い物があると云う事も、審問官だったか記録官だったか、いや審理室で閻魔大王官からだったか、兎も角、そんな事も聞いておりますので、食い物関係のアレルギーは願い下げにして貰いたいと切に希望しますよ」
「そうそう。それに喫茶店なんかでリラックスする時には、矢張りコーヒーの方が私は似あうように思いますので、コーヒーが心配なく飲める体に生まれたいものですな」
 拙生と鵜方氏は、今となっては詮ない娑婆の愚痴を零しながら頷きあうのでありました。
「ところで、この店ですがね、なんとなくですが、娑婆の新宿にあった同名のカトレアと云う喫茶店と、雰囲気が似ていませんかね」
 鵜方氏が云うのでありました。「噴水こそないけれど」
「いや、さっきも云ったと思いますが、確かカトレアには噴水はありませんでしたよ」
(続)
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