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もうじやのたわむれ 85 [もうじやのたわむれ 3 創作]

「まあ、そう云う事でしょう。我々鬼にはその辺の感覚が、よく理解出来ませんのですが」
 審問官はもう一度ボールペンを前後にふるのでありました。
「娑婆で生まれた時から、こちらの世に生まれ変わって記憶が蘇った時までが、ずっと途切れ目なくすんなりと一繋がりに経過し続けているように、ですね?」
「そう云う事でしょう。返答が繰り返しになりますが、我々鬼にはそれ以上は云えません」
 審問官は今度はもう、ボールペンを縦ふりさせないのでありましたが、これは拙生の執こい念押しの質問にやや辟易したためでありましょうか。
「そうすると学校を終えて社会に出て、その時点で娑婆での記憶がすっかり蘇っているとなると、例えばその後の身のふり方とかが、その記憶、つまり娑婆での経験なんかによって、自ずと規定されたりするのでしょうかね?」
「まあ、それは人様々、いや違った、霊様々ですね」
「屹度、娑婆で大いに名を上げた方とか、大いに功績を残された方とか、学業や芸術、スポーツなんかに秀でていらした方とかは、その記憶に依って、こちらの世でもその道に進もうとされる場合が多いのでしょうね?」
「そう云う傾向は確かに強いと云えますが、一概にそうとも限りません。そう云った娑婆の事跡の記憶には、当然のこととして娑婆で育み馴染んだ、脳を当然含むところの肉体が必ず付随しているものでしょう。しかしその、脳を当然含むところの肉体は、娑婆にいた時とは全く違ったものとなっているのですから、そのご自分の娑婆での事跡に現在の自分の心身が適応するかどうかは、また別の問題だと云う事になります。その記憶が魅力的に思えるかどうかも、ま、夫々の、現在の心身の機微に属する事でしょうね」
「しかし感情と肉体的な同一性を抜きにしても、経験を活かしたり進めたりする方が、こちらで新たになにかを始めるに於いても、絶対に有利でもあり好都合でもあるでしょうし」
「まあ、そういう部分は確かにあるかも知れませんが、でもこればっかりは夫々の思惑次第ですからね。しかしこちらとしても娑婆で秀でた業績を残された亡者の方には、こちらの世でもその能力を発揮して頂く事は、決して悪い事ではないと考えますけれど」
「ふうん、まあ、そうでしょうね」
拙生はなんとなく頷いた後に少し話頭を変えるのでありました。「娑婆での嗜好とかは、こちらでも連続するのでしょうか?」
「それはしません。育つ環境が娑婆とは違って仕舞いますから、自ずとこちらでの嗜好が新たに、自然に形成されていきます。蘇らないと云う点では感情と同じです」
「成程ね。それは確かにそうかも知れませんね」
「それから、これは云っておくべきだと今思ったので、補足的に、こちらの社会制度として紹介しておきますが、例えばこちらで与太八郎とか云う戸籍名を両親からつけられたとしても、それは二十二歳になれば本人の自由意志で変更する事が出来ます。名だけでなく姓の方も好きなように変えられます。ですから鷲塚与太八郎を鷹の爪辛太郎に、奥山木魂を水野波紋にと云うように好きに変えられます。しかも希望するなら思い立った時に何度でも変更が可能です。それに依って社会的な不利益は何も発生いたしません」
(続)
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