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もうじやのたわむれ 83 [もうじやのたわむれ 3 創作]

「つまり恨みつらみなんかや、好き嫌いとか、敬慕とか軽蔑とか、そう云った向こうの世で抱いていた様々な感情が、きれいに欠落した状態で再会するから、と云うのでしょう?」
「その通りです」
「それが今一つ、上手い具合に納得出来ないのですけれどね」
「まあ、そうかも知れませんが、兎に角、娑婆であった事跡は蘇るのですが、それに付随した各々の感情は蘇らないのです。ですから万一娑婆で仇同士だった人がこちらで霊として再会したとしても、笑って冗談なんかを云いながら酒を酌み交わせるのです」
「まあ、こちらの世にとってはその方が好都合と云えば好都合でしょうがね」
「娑婆の感情がその儘蘇るとなると、こちらの霊社会が滑らかに運動しませんからね」
 審問官はそう云ってボールペンをくるんと滑らかに回すのでありました。
「まあ、私もその内、その、淡い記憶、の実態を経験させてもらうとしますかな」
「そうそう。後々のお楽しみというところで」
 審問官はそう云って歯を見せて愛想笑うのでありました。
「娑婆であった事跡のみが蘇ると云うのは、これまたこちらの世にとっては好都合ですね」
「そうですね。あちらのテクノロジーやら良好な社会制度やら、それに良好でなかった経験やらを、クールに教訓としてこちらで活用させて頂けますからね」
「それと、聞きたいのは、感情の部分は抜きにして、例えば血縁とか、親子関係とか、それに夫婦関係とか、そう云った縁続きなんぞは、こちらでも継続されるのでしょうか?」
 拙生はそう聞くのでありました。
「それも、こちらで新たに生まれ変わるのですから、継続されません」
「娑婆で自分の母親だった女性の体内に再び宿る、なんと云う事はないのですね?」
「確率的には殆ど皆無と云えるのですが、それでも稀に、偶然にそう云う事が起こるかも知れません。しかしそれもあくまで全くの偶然と云うものですね。一般的に、八百九十年と云う女性の寿命の中で、妊娠可能な時期は百二十歳から五百歳の間だと、今現在医学的に云われております。ですから若し娑婆の何方かが四十歳でご母堂様を見送ったとして、その後その方が八十歳まで娑婆にいらしたとしたら、ご母堂様はこちらでは未だ四十歳だと云う事になります。これは妊娠可能期に未だ満たない年齢です。まあ、恐ろしく早熟とかそう云った事もあるかも知れませんが、しかしその方の母親にこちらでもなると云うのは、可能性として殆どないと云えるでしょうね。そう云うわけで、親子関係はこちらで再現される事は先ずありません。娑婆で自分の親だった霊に出くわす事はあるかも知れませんが、しかし仇同士だった場合と同様で、親子の情と云うのも蘇りませんから、そうと判って、その節はどうもと、素っ気ない挨拶くらいは交わす場合もあるかも知れませんが、それ以上の情動は湧き起こりません。それはもう、至ってあっさりとしたものですよ」
「ふうん、成程ね。当然、娑婆での夫婦の関係も消去されているわけですから、この世でお前と添えないのなら、あの世の蓮の葉っぱの上で、二人で所帯を持とうじゃないか、なんと云った雨蛙みたいな了見の、心中の名科白なんかも成立不可能なわけですな」
「如何にもその通りです」
(続)
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