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もうじやのたわむれ 30 [もうじやのたわむれ 1 創作]

「まあ、こちらに来た早々、こちらを去る話しをするようで恐縮なのですが。・・・」
 拙生はそう云って頭を掻くのでありました。
「いやいや、そんなことはありません。こちらへいらしたばかりの亡者様が、その辺を納得出来ないのは、充分理解出来ます」
「あの世にも、あの世があるのですね?」
「そうです。この世にもあの世はあります」
「審問官さんが今云われた、この世、と云うのは、つまり向こうの世界で云うと、あの世、になるのですよね?」
「そうです。向こうで云うあの世はこの世でありまして、この世で云うあの世は、向こうの世では、あの世のあの世となりますね。なんかまわりくどくなりますが」
「娑婆にあの世があるように、この世にあの世があるように。・・・」
 記録官が、なんとなく節をつけてそう囁くのでありました。「なんか、荒木一郎の歌にそんなのがありますよね、確か」
「私が子供時分のかなり古い歌謡曲で『空に星があるように』と云う歌ですが、記録官さんは荒木一郎をご存知で?」
「ええ。今こちらで流行っていますから」
「へえ、流行っているんですか、今?」
「はい。ここ近年大いに流行っていますよ。向こうから最近いらした、娑婆で音楽プロデューサーをされていた方だとか、演劇関係の方、それにマジック関連の仕事をされていた方だとかがこちらに紹介されて、何故か瞬く間にドオッと流行り出しましてね。荒木一郎さんが、未だ当分先の事になるでしょうが、早くこちらでデビューされないかと今から大変な評判でして。矢張り良い歌手は、何処の世界にあっても良い歌手ですね」
「ふうん、成程」
 拙生は頷くのでありました。「なんか米朝師匠の落語で『地獄八景亡者戯』と云う噺の中で、こちらの寄席の出演看板の中に桂米朝とあって、未だ死んでいないのに何故と聞いたら、横に近日来演と書いてあった、という件を、今またふらっと思い出して仕舞いました。いや、これまた余計で、無意味な事を喋り出して、申しわけないですが」
「ああ、いやその看板の所在は、事実なのです」
 記録官が真顔で云うのでありました。
「え、と云うと?」
「いや本当に六道辻亭と云う寄席に、随分前からずうっとそう云う看板が出ていますよ」
「なんと、本当の事、だったのですか!」
 拙生はちょっと息を飲むのでありました。「あれが実は本当だったとなると、なんか今後あの件で、単純にあっけらかんと笑えなくなるような心持ちがしてきますねえ。ま、今後と云っても、今後、米朝師匠の噺を私がこちらで聴こうと思ったら、本当に、近日来演、を待つと云うことになるわけですが」
「赤井さん、あれ、未だ六道辻亭にかかっていますよねえ?」
(続)
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