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もうじやのたわむれ 5 [もうじやのたわむれ 1 創作]

「ちょっと質問しても宜しいでしょうか?」
 拙生は恐る々々と云う様子で云うのでありました。
「ええどうぞ。なんでも聞いてください」
 審問官は拙生の質問を大歓迎すると云うように笑いながら何度か頷き、拙生の方へ上に向けた掌を差し出すのでありました。
「あちらに居る時に、ものの本で読んだ記憶があるのですが、それに寄席で聴いた上方落語の『地獄八景亡者戯』にも出て来ると思うのですが、三途の川の渡し場には正塚の婆と云うのが居て、これが亡者の着物を剥いでそれを傍らの木にかけて、枝の撓り具合に依ってその亡者の罪の重さを測ったなんと云う話しがありませんでしたっけ?」
「ああ、正塚の婆ね」
 審問官が口元の親しげな笑いを、意味ありげな笑いに変化させて頷くのでありました。
「私が今回三途の川を渡るに於いて、楽しみにしていたそのお婆さんにお会いする機会がなかったのは、これはいったい?」
 「あれは随分昔に風紀が改正されました。そもそも、あの正塚の婆と云うのは特定の婆さんを差している言葉ではなくて、以前、三途の川の連絡船発着所で勤務していた港湾管理事業所の一部の官吏のことなのです」
 審問官はそう云って椅子の背凭れから少し体を起こすのでありました。
「お役人さんですか?」
「ええ。ま、我々はお役霊さんですが。それは兎も角、昔は閻魔庁の指示とか通達とかが、各部局にちゃんと徹底するような制度や罰則がありませんでね、夫々が監視のないのをいいことに勝手に業務を行っていたのです。中には職権を乱用して、やって来られた亡者の方々に無理難題を押しつけたり、あこぎなことをして私服を肥やすような官吏もいたわけですよ。ま、官吏としてのモラールも確立されてはいなくて、低劣だったんですな」
「高い職業道徳的意識がなかったのですね?」
「いやモラルではなくてモラールです。倫理ではなくてやる気です」
 審問官はオーケストラの指揮者が指揮棒を構えるように、手に持ったボールペンを目の前に立てて見せるのでありました。「娑婆にもいませんでしたか、いかにもなげやりな態度の意地悪で了見違いの役人が?」
「まあ、いましたかな、そんな人も」
「港湾管理局の一部の官吏、特に向こう岸に勤務する官吏もそんな感じで、亡者の方々に尊大な態度を取ったり、方々がこちらの事情を未だら知らないことをいいことに、川を渡りたかったらなにがしかの心付けを渡せと脅したり、法外な船賃を請求してみたり、悪質で、それはもう、すこぶる評判が宜しくなかったのです」
「へえ、そうだったんですか」
 拙生は口をへの字に曲げて腕組みをして見せるのでありました。
「で、こんな手合いを正塚の婆と云う隠語で、亡者の方々が仰っていたのです。それがどう云う経路でかは判りませんが、向こうの世界にそんな個性として伝わったんでしょうな」
(続)
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