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大きな栗の木の下で 93 [大きな栗の木の下で 4 創作]

「そう云われればそうだけどさ、なんとなくね。・・・」
「まあ、バスの乗り降りの点では、直通の方が労力の節約にはなるか。教室で無為に時間を潰す精神的疲労と、バスの乗り降りの身体的労力との兼ねあいをどう考えるかだな」
 御船さんはそう云いながら、その兼ねあいについて少し考えてみるのでありました。
「あたしは時間の無駄だとしても、直通に乗って帰る方が、ほんのちょっと気分が良いの。それになんとなく得した気がするの。まあ、本当に得かどうかは疑わしい面もあるけど。それに、そんなつまらないこと、どっちだっていいことなんだろうけどさ」
「乗り換えよりは、少し時間をロスしても直通の方が気分が良いと云うのは、なんとなく判らないでもないか。でもそのロスが一時間とか云う単位になると、俺はちょっと考えるね。・・・いや別に、お前が直通に拘るのを、暇な奴だって腐しているんじゃないけどさ」
「腐しているじゃない」
 沙代子さんはそう云って笑いを湛えた口を尖らせるのでありました。初めて見る沙代子さんのそんな表情が御船さんにはとても可憐に見えるのでありました。
「御船君、もう大学入試の勉強始めている?」
 少しの間二人共黙る時間があって、その後沙代子さんが聞くのでありました。
「いいや、全然」
 弁当箱をバッグに入れたのでありましたから、御船さんはもう教室に残る理由はないのでありました。しかしなんとはなしに、偶然手にした沙代子さんと二人きりの時間を早々に切り上げるのは勿体ないような気がするものだから、少しの間の沈黙の手持無沙汰に耐えて、御船さんは自分の机の上に浅く腰を下ろして、椅子に座って片手で頬杖をついている沙代子さんの方を、無神経で不躾にならない程度に窺っていたのでありました。
「もう二年生の二学期なんだから、そろそろ始めなくちゃいけないわよね」
「そうかな。そうでもないんじゃないか」
「今から始めるのも遅いくらいだって、さっき綾子が云っていたわよ」
「だって未だ遠い先のことだから、切迫感もさっぱりないしさ」
 御船さんはそう云って膝を一つ叩いてからその後でその膝を撫でるのでありましたが、これは全く無意味な仕草だと考えるのでありました。どうしてこんな仕草を不意にこのタイミングで自分がしているのか、御船さんは自分でもよく判らないのでありました。
「ああ、御船君もう帰るのね?」
 沙代子さんが頬杖を解いて云うのでありました。「ご免ね、あたしが要らない話なんかしたものだから、引き止めちゃったみたいで」
 沙代子さんは御船さんが膝を叩いたその仕草から、そう推察したのでありましょう。しかしそれは誤解なのであります。別に早く帰りたいことを暗に伝えるために、御船さんは膝を打ったのではないのであります。それは全く無意味な余計な動作なのでありました。御船さんは沙代子さんに誤解を与えたことを申しわけなく思うのでありました。
「いや、なんか知らないけど急に、俺の手が勝手に膝を打っただけで、別に早く帰りたいと云うサインなんかじゃないよ、今のは」
(続)
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