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大きな栗の木の下で 89 [大きな栗の木の下で 3 創作]

 沙代子さんが海から視線を自分の足元に戻すのでありました。
「まあ、矢岳君はあの時期、何につけてもツイていなかったのよね」
 ここでまた沙代子さんの話しは矢岳と云う男のことに戻るのかと考えながら、御船さんは街を見下ろしているのでありました。
「それは運に恵まれないってことか?」
「そう。何をやっても上手くいかない時期だったのよね、屹度」
「しかし、運なんてものは自分で掴み取るものだって云う意見もあるだろう」
「でも、自分でどうにもならないから運とか云う言葉が出来たんじゃないのかな」
「いや、そんなことを云うなら、そもそも運なんてもの自体があるのかって云う話しにもなるぜ。つまり運とか云う言葉は、単なる偶然の積み重ねでしかない現象を、それを或る種の必然性と云うのか意味と云うのか一貫性と云うのか、そう云うものでこじつけるように関連づけて、大鉈をふるうような感じで、事物をどうにかこうにか整理しようとする心の働きの一つみたいなものだとかさ。こんなこと云い出すと、またまわりくどくてややこしい観念論の話に戻るようで、なんとなくこう、自分で云っている傍から、少々恐縮したりたじろいだりしているわけだけど」
「だからさ、回りあわせっていうのか、タイミングって云うのか。・・・」
 沙代子さんはそう云って言葉を切って、徐に御船さんを見るのでありました。「これ、さっきもあたし云ったかしらね。まあ、いいわ。だからつまり、結局、色々な回りあわせが悪かったって云うことが総てだったと思うの。殊更、矢岳君が悪いわけでもなくて、あたしが悪いんでもなくてさ。そういう風に考えると、あたしは矢岳君のことを憎んだり軽蔑したりする必要はないってこと」
 成程そう云う結論なのかと思って、御船さんは何度か瞬きをするのでありました。
「かなりひどいことをされたんだから、当初は憎んだり軽蔑したりもしたけど、今は相当時間も経って仕舞ったから、要するにそう云った感情が薄れたと云うことなのかな?」
「そう云うこともあるけど、でも、あたし初めからずっとそうだったような気がする」
「随分と人が良いと云うのか、呑気なヤツだな」
 御船さんはそう云って笑うのでありましたが、その笑いは皮肉な笑いとか、憫笑とか冷笑とか云う類のものではなくて、まあ、多少そう云ったものを含んではいるのでありましたが、それをそっくりより大きな親愛の情で包んだような笑いなのでありました。
「あたし、何時だってぼんやりしているからね」
 沙代子さんもそう云って笑い返すのでありました。
「考えように依っては広大無辺の境地みたいで、仏様のようなヤツだとも云える」
 御船さんは全くの冗談めかした仕草で沙代子さんを拝んで見せるのでありました。
「それは絶対違っていると思うわ」
 沙代子さんは目の前にある御船さんの合掌した手を軽く払うのでありました。その全く予期しなかった一瞬の接触を、御船さんは秘かに喜ぶのでありました。古木の下枝の葉群れが風にさざめくのでありました。
(続)
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