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大きな栗の木の下で 78 [大きな栗の木の下で 3 創作]

 毎日の電話で誤魔化そうって云う見え透いた了見は、それはそれとして、この先のことを考えれば、あたしは矢張り矢岳君とずっと一緒に暮らしていく方が良いって、そう思っていたのよ。ま、矢岳君の方も毎日電話をくれるわけだから、未だあたしと決定的に決裂することを望んではいないんだって、そうも考えたしね。なんか遣る瀬なかったけど。
 こんなあたしの思いって変かしら。矢岳君に対する態度と気持ちが、なんか矛盾しているように見えるかしら。でも、それって、その時のあたしの気持ちの正直なところだったのよ、判ってくれないかも知れないけど。・・・>

 御船さんは少し混乱しているのでありました。それは沙代子さんの気持ちが、矢岳と云う男から決定的に離れた故のその態度だと思っていたのに、沙代子さんに依ればそうではないと云うのであります。気持ちは未だに矢岳と云う男の傍らに在るには在ると云うのであります。
 まあ、沙代子さんとしたら矢岳と云う男との間に出来た赤ちゃんもいることだし、その赤ちゃんの将来とか、その他諸々のこと等考えると、この場合沙代子さんがぐっと我慢して仕舞えば、少し歪な形になったにしろ、万事が丸く収まると考えたのかも知れません。つまり未だ、矢岳と云う男の不誠実な態度は、沙代子さんの情の外壁からはみ出ない範囲にあると云うことなのでありますか。
 そこまで来たら敢然と三行半を突きつけても、沙代子さんにはなんの非もないと御船さんには思われるのでありました。ま、しかし色々考えてみて、沙代子さんとしてはそうはしないのでありましょうが。その辺の機微と云うものは沙代子さんならぬ身が、すっきりと理解出来ようはずもないのであります。
 しかし、そうまで無責任としか思えない態度をとる男に、沙代子さんが或る意味で煮え切らなく愚図々々関わりあっていると云うことに、御船さんは秘かに歯噛みするのでありました。いい加減、ここまでの話の顛末からして、沙代子さんは矢岳と云う男を嫌悪して、関係を切ろうと決意しても良いではありませんか。それに第一、いい加減そうしてくれないと、話を聞いている御船さんの気持ちの方がなかなか晴れないと云うものであります。
 俄かに強い風が海から吹いてきて街を舐めて山の斜面を吹き上がり、栗の古木の葉群れを揺らし、公園中の木々をさざめかせ、御船さんと沙代子さんの髪を乱すのでありました。
「なんか、風が強くなってきたみたいね」
 沙代子さんが云うのでありました。
「夕方に近づくにつれて、段々風の勢いが強くなるんだろう。しかしまあ、未だ夕方と云うには辺りは明るすぎるけど」
 御船さんはそう返しながら、空を見上げるのでありました。幾つかの雲の塊が空の高い処を海から離れるように、しかし今吹いた風の強さから測ると悠長過ぎるように揺曳しているのでありました。風が収まると、急に額が汗ばむような気がするのでありました。
「でも、もう九月の半ばを過ぎたと云うのに、ちっとも秋らしくならないわよね、本当に。今年の夏は嫌に未練たらしく、この街を離れないようね」
(続)
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