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大きな栗の木の下で 75 [大きな栗の木の下で 3 創作]

 それは、あたしが腹を立てるのも身勝手かも知れないけど、だからって矢岳君の身勝手の方が重要度が上だってことにはならないでしょう。その時あたしは、そう思ったの。だから思いっきり顰め面して矢岳君を睨んだの。
 あたしさ、自分が矢岳君に対してこうも反抗的な態度に出ているのが、実はちょっと自分でも意外だったのよ。あたしだって矢岳君のその時の事情って云うか、事務所とか、もっと大きな範囲で云えば、音楽の市場の中で置かれている立場って云うのか、そう云うものも充分理解は出来たの。確かに矢岳君には、次のレコードが正念場だったに違いないの。でも、それでもあたしは、その時あたしに対している矢岳君の態度に妙に苛々して、なんか許せない気持ちになったの。
 矢岳君はたじろいだと思うわ、何時もになくあたしがそんな反抗的な態度でいることに。多分矢岳君は、そんなあたしを見るのは初めてだったでしょうしね。あたしも、内心そんな自分を自分で驚いているんだから、当然よね。・・・>

 無理もないさと御船さんは思うのでありました。やっとそこで、矢岳と云う男の本性が沙代子さんにもはっきり判ったのであります。法螺吹き野郎で、軽薄野郎で、女誑し野郎で、浅はか野郎で、未成熟野郎で、身勝手野郎で、怠慢野郎で、卑劣野郎で、詐欺野郎で、間抜け野郎で、頓痴気野郎で、それに、それに、その他諸々野郎だって云うことが。
 そんなヤツに対しては大いに反抗的にふる舞ったとしても、なんの問題もないのであります。寧ろもっと早く沙代子さんがそう云う態度に出るべきだったのであります。コテンパンにとっちめてやれ、であります。大いに驚かしてやれ、であります。大いにその非を鳴らしてやれ、であります。兎に角、なんでも胸が空くまで大いにやれ、であります。序でながら、御船さんも一緒に胸が空くと云うものであります。まあしかし、尤も、今の時点で御船さんが過去の沙代子さんを応援してみても始まらないのでありますが。
「まあ、要は沙代子の気持ちが覚めて仕舞った為の仕業と云うものかな」
 御船さんが云うのでありました。
「そうね、そうかもね」
 沙代子さんが海を見ながら頷くのでありました。
「沙代子にとっては赤ん坊が、なにより大事だったわけだよな、屹度」
「そうね、もう、矢岳君よりも。・・・」
「だから赤ちゃんに対する矢岳と云う男の態度が、沙代子には我慢がならなかったんだ。当然だよな。実際、矢岳と云う男は赤ん坊の父親なんだから、責任からも、自分のことなんかさて置いて、先ず赤ん坊の事の方が最優先だよな」
 自分の子供がこの世に誕生したことで、沙代子さんの中で大切なものの順位の入れ替えが明確に起こったのでありましょう。それは母親となった沙代子さんの意識の、当然の転換に違いないのであります。自分のこの世で最も大切なものの前で、それを大切に扱わなければならないくせにそうしようとしない者に対して、断固として対峙してみせる、沙代子さんの全く自然な母親としての行為なのであります。
(続)
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