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大きな栗の木の下で 72 [大きな栗の木の下で 3 創作]

 御船さんは草を多目に毟って、それを力いっぱい前に投げるのでありました。それを見て、沙代子さんが聞くのでありました。
「あたしのこんなつまらない話、御船君、もう聞きたくなんかないでしょう?」
「いや、そんなことないけど、どうして?」
「なんとなく、そんな感じがしたから。あたし鈍感で気づかなかったけどさ」
「でも、つまり・・・」
 御船さんは仕切り直すようにそう云って、もう一度草を毟って今度はそれを掌に載せて息を吹きかけると、細く細かな草が幾本か御船さんのズボンの上に舞い落ちるのでありました。「沙代子が矢岳と云う男の行動に対して、なんのアクションもしなかったと云うのは、まあ、なんと云うか、要するに沙代子の方にしても、その矢岳と云う男に対して、もう随分気持ちが覚めていたと云うことになるのかな、その時点では?」
 沙代子さんは栗の木の下枝を見上げるのでありました。それは自分の気持ちがその時どうだったのか、確認する仕草のように御船さんには見えるのでありました。
「そうね、そうかも知れない。だからあたし、案外冷静にしていられたのかも知れないわ。そんな仕打ちをする矢岳君のことが憎くて堪らないわけじゃなかったし、事態にたじろいで、なにがなんでも矢岳君を追いかけなければなんて切羽詰まってもいなかったし、ずっと前から予めどこかで想定していた、来るべき結論を、静かに迎えるって感じだったかな。まあ、色々心細くはあったけど」
 海の方に視線を戻して沙代子さんはそう云うのでありました。「だからあたしは、取り乱したりしないで、矢岳君を待っていたのよね、屹度。何時か矢岳君が、はっきりとした結論を云うために帰ってくるのをさ」
「別れるにしても、二人の、いや赤ちゃんと三人の生活を続けるにしても」
「そう。兎に角矢岳君の気持ちの整理が出来るのを待っているだけ」
「でも、沙代子の方の気持ちが覚めていたのなら、その矢岳と云う男が、もう一度三人での生活を再構築しようって云う結論を持って帰って来たとしても、それは、沙代子にはもう受けつけられないってことだよな?」
「そうね。結局そうなるわよね。でもその時は、矢岳君がそうしたいって云うのなら、あたしの方から別れるなんて云わなかったと思う。矢岳君の出した結論をあくまで尊重して、あたしは三人の生活を続けてもよかったのよ」
「でも、早晩、別れることになったんじゃないかな、そう云うのって結局」
 御船さんはそう云って、ズボンの上に散らかった濃い緑色の草をゆっくりとした仕草で払い除けるのでありました。
「そうよね、まあ、結局そうなったかもね」
 沙代子さんが云うのでありました。「でもあたし、あんまり気持ちが強い方じゃないし勇気もないから、それに、結構ずるいから、あたしの方からあたしの気持ちを矢岳君にぶつけることはしなかったと思うの。あくまで矢岳君の了見次第って態度で」
 沙代子さんはそう云って薄く苦く笑うのでありました。
(続)
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