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大きな栗の木の下で 69 [大きな栗の木の下で 3 創作]

 矢岳君は次の日の昼過ぎに一端帰って来たの。でもなんか譜面とかノートとかそんなものをかき集めて、次のレコードの打ちあわせで今日も帰れないかも知れない、なんて云ってすぐにアパートを出て行ったわ。赤ちゃんを抱きもしないで。
 二三日帰って来ないで、それでまたふらっと帰って来ては必要な荷物を持って出て行って、また数日間姿を晦まして。そんな感じで一月程経ったかしらね。家に泊まることがあっても、次の日には早々に出て行くの。でも一応たまにでも帰ってくるところが、つまりあたしへの気兼ねであり、申しわけなさだったんでしょうね。そう云う意味で、あたしは矢岳君のあたしへの愛情が、未だ完全に失せてはいないんだって、なんとなく思ったわ。
 あたしに促されて赤ちゃんを抱く時もあったけど、矢岳君は自分の方からは遠巻きにして、赤ちゃんには関わらないようにしているって風だったわ。赤ちゃんも自分に愛情を注がない父親には懐かないもので、矢岳君が抱くとすぐに憤って、その手から逃れるような動きをするの。だから矢岳君は余計赤ちゃんに対して愛情を抱けないで、寧ろ蟠りみたいな感情を募らすの。
 それに、二三日帰って来ないのが、次第に三四日、四五日、その内殆ど帰って来ないなんて云う風になっていったの。矢岳君はこのアパートに帰ることを忌避しているって、あたしは完全に納得したの。それは確かに、次のレコードの話もあったんだとは思ったわ。それで一枚目のレコード出す時のように途轍もなく忙しくなったってことも、それは本当にそうかも知れないって思った。でも、一枚目のレコードの時は、矢岳君はどんなに帰り難い事情があっても、ひどく遅くなっても、なんとか帰ってこようとしたものね。・・・>

 つい先程までとはうって変わって、下界の街から公園に向かって暫くの間風が全く吹いてはこないのでありました。栗の古木の蔭の中は、ぎりぎりまで引き延ばされて緊張し切ったギターの弦のように、不穏に静まり返っているのでありました。
「でも、赤ん坊の父親なんだから、・・・」
 御船さんがそう言葉を口から出すのでありました。「兎にも角にも、血を分けた父親なんだから、全く愛情を抱けないなんてことは、あるのかなあ?」
 御船さんがそう聞いても、沙代子さんは海の方へ目を向けた儘なにも応えないのでありました。それは本当のところなんと応えていいのか、矢岳と云う男ならぬ身には俄かには判じられない事柄、寧ろ実は、沙代子さんの方が知りたいくらいの事なのでありましょう。
 自分の血を分けた子供に愛情を抱くのは疑うべくもない性理であり、当の当然の普遍的な感情であります。まあ、そう一般的には頭から納得されているのであります。しかしそれはあくまで、ある意図の下で人倫の範疇に整理されたところの、あらま欲しき情と云うだけであって、人の、クラゲのように何処を知れず漂う感情の実態ではないのかも知れないと、沙代子さんの返答を待たずに、御船さんはそんな結論を先に下すのでありました。
 自分の子供に滝のような愛情を注ぐ親もいれば、なんの気持ちの波立ちも感じない親がいても、殊更驚くことではないのかも知れません。或いは愛情を感じたり、全く感じなかったりと云った大振幅の揺らぎが、同じ人間の中に同時に内在していると云うのか。・・・
(続)
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